鏡の中の、あなた。｜リアクション

鏡の中の、あなた。

●琴櫻輝之助の場合

　輝之助は困惑していた。噂通りに階段の踊り場まで辿り着き、鏡を発見する所まではお経を唱えるほど恐怖心が勝っていたはずなのに。鏡から現れる自分とやらが本当は幽霊だったらどうしようと思っていたのに。まさかこんなすかした自分が現れるなんて……！
　鏡から現れたもう一人の自分は、なんだか大人びた雰囲気でどこかすました態度の自分。輝之助からすればこいつがもう一人の自分だなんて信じられない、誰だコイツという状態だ。
　そんな輝之助の心境を知ってか知らずか、もう一人の自分は輝之助に話しかけた。

『お前さ、最近将来の方向性についてエライ悩んでるんだろ？』
「はー？全然悩んでないですぅ～もう既に決まってますぅ～」

　嘘だった。それはもう大嘘だった。あらぬ方向に目線をやり、口笛まで吹き始めた輝之助に、もう一人の自分は目を細める。

『じゃあ、その決まってる方向性とやらを言ってみろ』
「……そ、総理大臣とか、超売れっ子漫画家とか」

　明らかに適当に考えました、みたいな将来の夢を聞いてもう一人の自分はこれみよがしな溜息を吐いた。

『絶望的なまでに馬鹿だし、絵も下手糞だから一言で言ってしまえば……無理だ』
「う、うるさいなー！　ほっとけ！」
『お前さ、ちょっとは真面目に考えたらどうよ？　高校生活なんてあっという間なんだから』
「……わ、わかったよ。あーもう！　ホント調子狂うぜ……」

　もう一人の自分からの圧倒的な正論と、本当に何がしたいのか漠然としすぎている自分自身の曖昧さに、輝之助はがっくりと項垂れる。まだ高校一年生という甘えもあったけど、いざ問われると頭を抱えて悩んでしまう。将来の夢、なんて小学生の頃は気楽に考えれたと言うのに。

『やれやれ……お前は映画が好きだろ？それなら、それに携わる仕事とかあるじゃないか。お前は馬鹿だけどさ、運動だけは得意だろ？スタントマンとか……アクション俳優とか、色々道はあるはずだぞ』
「……それだ！！」

　見かねたもう一人の自分からのアドバイスに、輝之助は目から鱗が落ちたかのように顔を上げる。輝之助の運動神経はなかなかの物で、小中高の成績表は学科は今ひとつだったけれど、体育だけは全てＡ評価だったのだ。

『お前が普通のサラリーマンをやってる姿は想像できないからな……妥当な所だろ』
「それはオイラも想像できない、スーツ着て通勤電車で……うわーー似合わない！」

　輝之助が思わず想像してしまったのか、苦虫を噛んだような顔をする。

「アクション俳優か……、詳しく調べてみるかな。なんとなくオイラに向いてる気がするし、何より楽しそうだ」
『普通の仕事に就くより厳しいかもしれないし、挫折もあるかもしれない。けど、やってみる価値はあるだろ』
「そうだよな、どんな仕事だって大変だもんな。オイラはまだよく分かってないけど……うん、でも助言してくれてサンキュー！　オイラ頑張ってみるわ！」　
『その意気だ。それじゃあな』

　すっきりした顔で輝之助はもう一人の自分が消えていくのを見送った。嫌味な言い方をする奴だったけれど、誤魔化すような事は言わなかった。それは輝之助の真っ直ぐな心そのものだったのかもしれない。
　輝之助はもう一人の自分の助言を胸に、校舎を後にした。