鏡の中の、あなた。｜リアクション

鏡の中の、あなた。

●多喜勇生の場合

　噂話を聞いた時、勇生はなんて面白そうな話なんだろうと思った。もう一人の自分ってどんな自分なんだろう？思いを共感し合ったりできるかもしれない、そんな淡い期待と好奇心を胸に一人校舎を訪れた。そして出会ったもう一人の自分とは……。

「ほ、本当に君がもう一人の僕なの！？」
『見てわかんねぇのか、この瓶底眼鏡。我ながら調教しがいのありそうなヘタレ面しやがって』

　勇生は我が耳を疑ってまじまじともう一人の自分を観察する。先日購入した銀縁眼鏡を掛けたもう一人の自分……その目付きは鋭く、醸し出す雰囲気もどこか威圧的だ。なんとなくもう一人の自分を把握した勇生は、恐る恐る問い掛ける。

「まさかとは思うんだけど、ドＳキャラなの……？」
『そうだ』
「嘘だーーー！！」
『瓶底眼鏡のクセに否定するんじゃねぇ』

　そんな事を言われても、と勇生は思ったがふと気が付く。そう言えばろっこんを使うと歯止めが効かない時がある、と。
　勇生のろっこんは裸眼の状態で感情が激しく昂ぶった時に、普段とは違う……それこそ真逆の存在とも言うべき荒くれ野郎となってどんな状況でも躊躇せず行動できる様になる、という物。

「まさか、ろっこんを使用した時の僕なの？」
『厳密に言えば違うが……ちなみにあれはお前の羽目が外れて本性が丸出しになってるだけだ』
「えぇーー！？　そんな……僕が暴力を振るって喜ぶ人間だったなんてーーー！！」

　顔面蒼白になっておろおろする勇生を、もう一人の自分は呆れた目で見るとビシッと指を突き付ける。

『お前は勘違いしている。だから万年ヘタレ野郎なんだ。』
「そ、そんなぁ……！」
『真のドＳとは相手の事を見極め、喜ばせられる者だ！　過激な発言や行動の中にも受ける相手や周りの事を気遣う優しさも秘めた真の気配り上手だ！　相手に迷惑を掛けるだけの奴はただの自分勝手だ、一緒にするな！』

　ここまでワンブレスで言い切られ、勇生は瓶底眼鏡の奥の瞳をぐるぐる回しながら脳に詰め込まれたドＳの情報を頑張って処理している。要はドＳと言う単語だけで、乱暴者だとか酷い奴だと誤解してはいけない……と言う事だろうか。なんという奥深さ、ドＳ恐るべし……！

「そ、そう言うものなんだ……判ったよ、僕がドＳって言うのはまだ信じられないけど、ただの乱暴者にはならないように頑張ってみるよ！」
『その意気だ！　ヘタレだがお前は優しい奴だ、相手への限度もきっと判るはずだ。そもそもＳと言うのはＭの気持ちがわかってこそだからな』
「ヘタレって言わないでよー！　って、ＳなのにＭの気持ちがわかるものなの？」

　新たに湧き出た疑問を、勇生はもう一人の自分に問い掛ける。

『当たり前だ、Ｍの気持ちが分からないような奴は真のＳとは言えない。丁度いい、折角だからお前にドＳ講座をしてやる。まずは言葉責めからだ！　そのヘタレの脳髄にしっかり刻み込んでやる……』

　ニヤリと笑って銀縁眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げるもう一人の自分に、勇生は寒気を覚えた。彼の脳内に警鐘が走る、これは危険だ……うっかり刻み込まれた日にはトラウマになりそうな気がする……！

「いや、それは全力で遠慮するよぉーーー！！」

　もう一人の自分の返事を待たず、勇生は全力でその場を逃げ出した。最後に、待てー逃げるなこのヘタレ！　という声が聞こえた気がしたけれど、勇生は後ろを振り返る事無く猫鳴館の自室へと逃げ帰ったのであった。