鏡の中の、あなた。｜リアクション

鏡の中の、あなた。

●恵御納夏朝の場合

　夏朝がその噂を聞いて、すぐに思った事はもう一人の自分に会えるかもしれない、だった。夏朝の心の中には、夏朝が自覚しているもう一人の自分が居る。冷徹で自己中心的な、もう一人の冷徹な自分。
　もしかしたら、話をする事ができるかもしれない……そして彼女は踊り場に現れた鏡に姿を映す。

『……何の用？』
「あ、えっと……っき、君に、向き合わないとって思ったから！」

　姿を現したもう一人の自分は姿形は夏朝そのものだったけれど、放つ雰囲気が違っていた。表情一つでこんなにも自分と違う誰かに見えるものなのかと、夏朝は思う。
　本当はもう一人の自分と対峙するには、まだ早すぎるのかもしれない。けれど、こんなチャンスは次にいつあるかもわからなかった。
　だから夏朝は心の中にいるもう一人の自分に怯えながらも、ここへ来たのだ。聞かなければならない事も沢山ある、そしてその答えを、多分もう一人の自分は知っているはずなのだ。

「君がいつ、どうして生まれたのか……まだわからない。僕自身の欠落した、思い出せない過去の一部に原因があるんじゃないかって僕は思ってる。けど、半分も思い出せていないんだ……」

　俯きかけた顔を上げ、もう一人の自分に問い掛ける。その視線を受けて、もう一人の自分がどこか渋い顔をしたような気がしたのは、夏朝の気のせいではないはず。

『……過去を思い出して欲しくはないんだけどね』
「それでもっ！　それでも思い出さないと……思い出さないといけない気がするんだ……」
『気のせいって事にしておけばいいのに、君も融通が利かない性格だね。……まぁわかっていた事だけれど』
「だって思い出さなきゃ、ちゃんと君に向き合う事もできないよ……？」

　心の中にいる、もう一人の自分。けれどそれは別人格という言葉を使ってはいるが、紛れもなく自分自身でもあるのだ。否定していてはきっと前には進めない。受け入れるにはまだ怖いけれど、いつか君が生まれた理由と意味を知る事ができれば、受け入れる事ができるのかもしれない。けど、今は。

「今の僕は……君が怖い。何をするのかわからない、大事な人達を傷付けてしまうかもしれないって思うと……怖いよ」

　もう一人の自分は、夏朝が言う事をただ聞いている。その様子を見ていた夏朝は、もしかしたらもう一人の自分は本当は優しい子なのかもしれないと、なんとなくだけれどそう感じていた。

「だから、寝子島の人達に酷い事はしないって約束……してほしい」
『安心しなよ……元からそんな気はない』
「……そっか、良かった」

　もう一人の自分の答えに、夏朝はほっと安堵の溜息を吐いた。
　よかった、無差別に誰かを攻撃するような子じゃないんだ……そう思うと夏朝の顔に笑みが浮かぶ。

『夏朝、君に言っておきたい事があるんだけれど』
「え、なぁに？」

　もう一人の自分が私に言いたい事があるなんて、何だろうと夏朝は少し緊張して背筋を伸ばす。

『……武器なんかに転用できそうな物は普段から持っておくんだね。それと……夏朝の手帳を僕に使われたくないなら、もう一個常備しておく事』
「え……て、手帳は準備できるけど、武器になりそうな物はどうかな……っ」

　武器、という不穏な言葉に夏朝が慌てるが、もう一人の自分はお構いなしだ。

『もう用はないだろう、僕は行くよ』
「あ、待って！　名前聞いてない……君の名前、教えて……！」
『……かや』

　名前を告げると、もう一人の自分は夏朝の前から姿を消した。
　教えてもらった名前を、夏朝はもう一人の自分が消えた場所を見つめながら心の中で呟く。かや、ちゃん。……夏夜、ちゃん？心の中で問い掛けても、答えは返ってこなかったけれど……夏朝の思った通りで合っているのだろう。
　もう一度、今度は声に出して呟くと、夏朝はその場を後にした。