鏡の中の、あなた。｜リアクション

鏡の中の、あなた。

●神無月ひふみの場合

　ひふみは今、ただ只管にドン引きしていた。鏡の中から現れたもう一人の自分が、お淑やかでお上品なお嬢様なのはまだよかった。
　それもまぁ、もしかしたら自分が歩んでいたもう一つの人生だったのかもしれないとも思った。けれど、口を開いたもう一人の自分は延々と優しくて強くてかっこいいパパ自慢を始めたのだ。

「ファ、ファザコン……！」

　どうしたって引き攣ってしまう唇をなんとか動かして、出た言葉はそれだった。

『あら、ひーの素晴らしいパパの事を大好きで何がいけないの？　小さい頃はパパと結婚するって思ってたわ。血が繋がっているから無理ですけど、それでもひーはパパの事が大好きよ』

　ダメだ、何を言ってもかっこいいパパ大好き自慢で返されてしまう……そう、ひふみが頭を抱えるともう一人の自分は優雅な仕草で首を傾げてひふみに言った。

『もっと素直になればいいのに』
「関係ないでしょ、ほっといてよ」
『貴女も、本当はパパの事が好きでしょう？』

　そう言われ、ひふみの動きが止まる。あぁそうか、これも心の中のどこかにいる私なんだと理解する。では、自分が素直になれない事もあながち関係ない訳ではないのか。
　心の中に親父と仲直りしたいと思っている自分が居るのかと、ひふみは自問自答する。そんなひふみを他所に、もう一人の自分は色々……そう、ひふみでなければ知らないであろう事を喋りだしたのだ。

『小学生二年まで、同じお布団で寝ていたじゃない、それに四年生まではお風呂も一緒に入っていたわ』
「わ、わ、わーーー！　それは言わないで！」

　忘れたい過去という程ではないけれど、ひふみからすれば恥ずかしい話なのだ。それを思い出させるかのようにもう一人の自分は喋り続ける。

「昔は昔、今は今でしょう！　大体、親父のせいでどんなに迷惑してきたと思ってんの？　あんたが私だとしたら知ってるはずでしょ？」

　もう一人の自分はふわりと笑う、まるでそんな事は全部知っているとでもいう風に。
　ひふみは子どもの頃からヤクザの娘だと後ろ指をさされ、いじめられ……果ては何度も誘拐未遂にまで遭ってきた。それもこれも父親の家業のせいではないか。
　だからこそ、強くなろうと空手を習った。女の子らしく育って欲しいという父親の願いは知っていたけれど、自分の身を守る為には必要だったから。そうするうちに、離れた方がいい、そう思って余り家に帰らないようになっていた。

『本当に、そう思っているの？』
「……ううん、違う。本当はずっと私が負い目を感じてたんだわ。いつか私の為に無茶をして、死んじゃうんじゃないかって……それが怖くて、無視して遠ざけたのよ」

　もう一人の自分の言葉は、ひふみの心を素直にしてくれるような気がした。話をしているうちに、心の底に押し込めて隠していた気持ちと父親に反発していた気持ちを解かしてくれているような、そんな気持ちになっていた。

『嫌いな訳じゃないんでしょう？』
「でも……今更どうやって素直になればいいかわからない」
『あら、まだ手遅れじゃないわ。やり直すなんて簡単な事よ、ね？』

　もう一度初心に立ち戻って。貴方がくれた名前に恥じない、そんな娘になれるかな。

「ねぇ、お父さん」

　思わず唇から漏れたいつかの父親への呼び名。それを聞くと、もう一人の自分は嬉しそうに笑ってその姿をひふみの前から消した。
　もう一度、やり直してみよう。そう決めたひふみの顔は、まるで消えたもう一人の自分のように華やかだった。