【窃盗なんて、非日常時に日常のような事をするからこう云う事に】

　散歩として街中に異変が無いかを調べる為に「完全なるドッグロード」に足を踏み入れた御剣 刀は、歩き始めた既に最初の方で良心の呵責に負けて、一匹のいぬのご主人様になる事を決意した。
　散歩に付き合ってもらいながら、歩く。
　いぬが歩く都度、かちゃかちゃ音を鳴らすのが不思議で、この際だから色々と尋ねてみる事にした。
　「普段はどんな生活をしてるんだ？」
　「そうでござるワンなぁ。畑を耕したり、牛や羊の面倒をみたりでござるワン」
　話で聞く限り、何かとても牧歌的かつ平和そうな雰囲気だ。もしかしたら刀も足を踏み込んだねこの国と生活水準は余り変わらないのかもしれない。

　「鎧は普段着なのかな？」
　「鎧はいぬのアイデンティティなのでござるワン！　アイデンティティを保持しながら筋力トレーニングまで出来る優れものでござる！」
　「スパルタ、とかいうヤツなのか……？
　そういえば、ねこの王国には「ねこの王さま」がいたが、犬の王様とかいるんだろうか？」
　「もちろんでござるワン！　いぬを今まで繁栄させてきて下さった『いぬ皇さま』がおられるでござるっ！　その強さたるや魔法使いの「ねこの王さま」ですら軽く押しのけたというらしいワン！」
　「(軽く押しのけられたなら、今はいぬの天下じゃないだろうか)」
　と、つい思ってしまったがここは言わないように我慢する。
　──そんな最中、

　「キャー！　引ったくりーっ！！」

　そんなこれが聞こえた。
　「ひったくりでござるワン！　捕まえねばでござるワンっ！！」
　「何か、見回りする都度、事件に遭遇してるな！」
　刀は四足歩行に戻ったいぬを従えて全力で走り始めた。


　それよりも、１０数分前。
　「何てところです！？　この寝子島というところは！！」
　キャットロードの看板が落下しそうなまでに惨めなそこは、今や見事なまでに「ドッグロード」
　その身近なところにいた最初のいぬに、キリエ・オーラティオは声を掛けて事情を聞く事に成功した。
　
　「なるほど、その精神は褒めてやるのです」
　人一人乗せられそうなその大型犬の頭を、腕を上げて撫でてあげる。
　「私はキリエ。キリエ・オーラティオなのです。お前の名前はなんというのです？」
　「拙者はにゅーふぁんと申すでござる。この名前も家に代々伝わる大変名誉な名前なのでござる」
　「なるほど。それは私の聖書と同じ価値がありやがるということなのですね」
　左手に抱え上げた正に一抱えの大きな聖書を見直しながら納得した様子で呟いた。

　しかし、なでなでしていた瞬間、「引ったくり！」の叫び声と共に側を駆け抜け、旧市街の方へ走っていく人影を見た。
　「──追いかけるのですっ！」
　「でも、ご主人様を残していくなんて出来ないでござる！」
　「では、背中に乗せて行くですよ！！」
　「確かにいぬの骨格は、普通の犬より遥かに頑丈でござるが……！！」
　「ここで主人の役に立たなかったら一体何処で主人の役に立ちやがるのです！？」

　この瞬間、いぬは『ようじょに罵られて何かに開眼する』という体験した。
　忠誠ではなく、愛情でもない──それは正に『生粋の性癖、どＭ』
　「行くでござるワン！　しっかり捕まっておくでござるワン！！」
　こうして、キリエを乗せて、にゅーふぁんは全力で走り出した。

　途中で見つけたのは、完全に犯人を見失い、一端辺りを見渡す為に足を止めていた灯 斗南の姿だった。
　四足歩行で走り続けていたにゅーふぁんを一度止め、そのまま斗南の方へ向かう。
　「──もしかして、引ったくりを探して見失い、場所が分からなくなりやがったくちですか？」
　「……。図星だから、その口調何とかしてくれないかな……」
　１２歳児童に、堂々と「丁寧かつ乱暴」というそれ自体、心抉る為のフラグであるのかもしれない口調で事実を話されては、結構内心ナイーブな斗南の心も素直に抉れる。
　「辺りを探索してみるですよ！　何か落ちているかもしれないのです！」
　「……メンドイ」
　小さなため息と共に零れた、小さな言葉を、キリエは聞き逃さなかった。
　「何か言ったですか？　トナミ！」
　「あ、いえ、分かってますよ。物事は途中放棄の方がメンドイって」
　それは大変な棒読み発言だったが、これは斗南自身も胸中で考えていた事でもある。
　キリエの言葉を切欠に、周囲の探索を開始した二人。

　そして、そこに御剣 刀の姿を見つけたのは、二人同時の事だった。
　「もしかして、犯人です！？」
　「いや、犯人ならこんなに堂々と立ち尽くしていないだろう？」
　勇むキリエに、制止を掛ける斗南。
　「──え？　いや、誤解だっ！！　待ってくれ！」
　その声に気づいて、慌てて下の様子を見ていた刀は慌てた様子で言葉を掛ける。
　そこで二人が見たものは、地面に落ちた空っぽの婦人用バッグだった。

　「怪しければ身体検査でもしてくれ。俺は天地神明に誓って明白だ」
　斗南もその言葉に納得する。現実では廊下で何度すれ違ったか程度の仲だが、とても窃盗をするような人物には見えない。
　……そして何故か辺りには白い粉塵とチョークが落ちている。それが、先程、赤禿 美雨が投擲したものとまでの推測は出来なかったが、ここで犯人に荷物を抜き取らせるだけの何かが起こったのかだけは理解出来た。

　「俺も、引ったくりと聞いて辺りを見回っていたんだ。
　しかし、これじゃあどうしようも……」　
　刀の言葉に、刀を主人にした犬も四本足でこくこくと頷いている。
　チョークまみれのバッグを前に考え込む三人と３匹。
　その中で、キリエが何かを思い立ったかのように顔を上げた。
　「せっかくいぬがいるのです！　これを使わない手は無いのです！」
　キリエはチョークまみれのバッグを取って犬のにゅーふぁんにバッグの匂いをかがせた。
　「匂いを覚えやがったですか？　ならあのひったくり犯を探し出すのです！」
　目を輝かせたにゅーふぁんにキリエは再度またがり、全力で駆け出した。
　置いていかれた二人と２匹も慌てて後を追い掛ける！

　
　「こらーっ！　バッグの中身返しやがれですーっ！！」
　「げっ、何で判るんだよ！」
　しばらく走ると、一休みしていたらしい犯人らしき男が慌てて走り出した。
　「当たり、と……けど、これはこれで面倒だな」
　面倒さを隠さない斗南。しかしここで片付けなければより面倒な事になっているのが目に見えている。
　刀も己のろっこん【加速】さえ使えれば取り押さえるのは容易だろう。
　しかし、街並みから外れたとはいえ、この中の何人が「ひと」なのか分からない以上、色々な意味でろっこんの使用は控えたい。
　刀がそう思う間に、キリエの方は犯人にリーチが掛かっていた。

　「飛ぶです！　ぶっつぶすのです！！」

　叫んだキリエが乗っていたのは、名前の通り『超大型ニューファンドランド犬・70kg＋甲冑分』である。
　それは軽やかに跳ね上がり空を飛んだかと思った瞬間、その落下速度を持って犯人を思い切り押し潰した！

　「ぎゃん！」

　正に犬のような声を上げて正面から潰される犯人。
　そして、追い掛けていた刀と斗南のいぬが両方向から犯人を責めるように吠え立てた。
　いぬ側の完全勝利である


　【捕り物その後】

　斗南は軽く埃を払うと、落ちるように置かれたバッグの中身を気だるそうに拾っていく。
　そして犯人本体を刀に、バッグの中身はキリエの両手を預けると、くるりと背中を向けて犬１匹と共に歩き始めた。
　「ちょっと待つのです。お前はどこに行こうというのです！？」
　「見返りなんていらないのに感謝とかされてもめんどいだけだし」

　キリエにその一言だけ残し、背中を見せたまま、斗南は軽く手を振ってすぐ側の曲がり角を折れて姿を消してしまった。
　「確かにお礼目的でやった訳じゃないけど……不思議な奴だよな」
　「なっ……かわった面倒くさがりなのです」
　人を助けておきながらその成果を面倒と受け取らない。
　立ち上がった刀と共にその後姿を見送って。
　そんな、彼の姿にキリエは両手に抱えた本を携え、そっと祈りを贈った。

　彼の行動に、せめてこれ位はしても良いだろう、と。