潮騒に呼ばれて｜リアクション

潮騒に呼ばれて

　春休みの終わり――それは、大多数の者には始まりの合図だろう。
　年明けの身が引き締まる気持ちとは別の、新しい学年やポジションが楽しみでもある新年度は、新入生や新社会人だけでなく、それらを迎える側にとっても期待高まるスタートの日。
　けれど、水谷真優理にとっては少し違う。
　確かに新人育成などはあるけれど、長期休みが終わり、桜など大きく見頃の花も散り、特にイベントもこれといって無い４月の中旬となれば、思い切り堪能するしかないものがやってくる。
（休みだっ！）
　世間の休みは仕事が普通なホテル業。この後に控えるＧＷで再び忙殺されるのかと思うと、素直に喜びにくい面はあるが……それでも、休みは嬉しいものだ。
　天気はパッとしないけれど、買い物に出て手の込んだ料理を作るでもいいし、部屋を片付けて、午後のゴロゴロタイムを満喫してもいい。
　さて、と気合いを入れて棚のストックを見て回っていると、青山絢が部屋から出てくるのが見えた。
「絢ちゃん！　ね、ね、今日って……あれ、おでかけ？」
「ええ。少し、散歩に出ようと思って」
　何気ない一言。でも、それが真優理にはどうも引っかかる。
　この春から大学生となった絢は、駆け出し女優としても多忙を極め、息をつく時間は貴重だ。いくら真優理が従姉妹であり恋人であるとはいったって、プライベートな時間は大事にすべきだし、常に傍へいることは互いにとって良くないということもわかっている。
「……ね、どこ行くの？　私も一緒に行っていい？」
　それでもなぜか、放っておけなかった。
　何かを遠慮しているこの様子は、彼女が傷ついて寝子島にやって来たときと同じような、抱え込ませてはいけないもののような気がして。
　気取られないように笑えば、絢は少し驚いた様子を見せながらも、はにかんだ。
「本当に、ちょっとその辺りまでだけど……真優理さんが、良ければ」
　ひとまず距離の詰め方に失敗はしなかったようで、真優理は子供っぽく喜んだ。聡い女優であっても、やっぱり絢には常日頃から仮面を付けなければならないような、息苦しい生き方はしてほしくない。
「待ってて、すぐ準備してくるから！」
　これ以上は気を遣って、張り詰めて生きていかなくていいと言ったって、絢は何かを考え追い込むだろう。
（……そうだよね。悩むことくらい、あるよね）
　大学に女優業、それから２人の関係も。絢を苦しめる要因になりたくはないけれど、こればっかりは手放せない。

　どうして１人で出かけようとしたんだろう。
　どうして、あんな遠慮がちな顔をしたんだろう。

　浮かれてばかりじゃいられないのは、誰よりもわかっていたはず――なのに、幸せすぎて目を背けていたのかもしれない。
（もし……絢ちゃんが、私とのことで悩んでたら）
　大人として、従姉として。彼女の幸せを最優先に考えて、そっと寄り添えるだろうか。
　ぐるぐる悩みそうになる思考を「らしくない」と振り払い、真優理は作ったように朗らかな顔で玄関に向かった。

　そのまま目的も無く通りを歩けば、潮騒が聞こえてくる。
　どうやら、寝子ヶ浜海岸の近くへ出たようで、海からはやや強い風が襲ってきた。
　髪や薄手の上着なんて、押さえるのも無駄な抵抗と思えるほど、ひとたまりもない。それでも、互いの乱された様子に笑い合うのが楽しくて、２人はそのまま砂浜に降り立った。
　さすがにシーズン外なのもあって、人はさほど多くない。砂遊びに興じる子供たちや、寄り添い歩くカップルは数組いるけれど、夏ほどの賑わいはなく日差しも柔らかい。
　さくりと砂を踏みならしながら、心の赴くままに暫く歩いて、適当な場所に腰を下ろしす。
　まるで寄せては返す波音が、落ち着いたジャズのようにも聞こえるから、会話をしなくても心地よかった。
（……そう思ってるのは、私だけかな）
　ふと様子を窺うように絢を見れば、その視線に気付いたのかそっとこちらを見る。そして、やっぱり――何かを堪えるような、物憂げな微笑みを見せるから、真優理は思わず前のめりになりかけた。
（聞いて、どうするの？）
　真優理と絢は、まごうことなく従姉妹であり、年齢だって13歳も離れている。
　関係だって、神魂のせいとはいえ段階を踏まず、深い間柄になってしまった。それらを考えれば、18歳の絢が悩むだなんて正常だ。
　改めてクリスマスの夜に告白されたからって、決して楽観的になってはいけなかったのに。
「真優理さん？」
　何かを言いかけて止めてしまった真優理を、絢は心配そうに見ている。
　だけど――こんな、年上としても恋人としても間違った気持ちを知られたくなくて、真優理はぐっと言葉を飲み込んだ。

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