Thank You for Loving Me｜リアクション

Thank You for Loving Me

　千絵は即答しなかった。
「その前に」
　手を止めて陣に振り返ったのだ。
　そして言った。
「陣さん、私のこと……どう思ってますか」

　罠か！　と陣は叫びたくなる。
　このシチュエーションでこの質問、まるで諸葛孔明の計略だ。退路を完全に断ったうえで火を放ってきたに等しい。こちらが逃げられないとわかっていてとどめを刺しにきている。
　もちろんこの場面の『どう思ってますか』が、『私の印象について教えてください』なんていう軽い内容でないことは言うまでもない。
　サインが出ているからだ。
　僕への呼びかけが『陣さん』になってる。『七枷さん』じゃなくて――あのとき以来だ。
　求められてるんだ。
　千絵ちゃんが向けてくれる慕情に、僕が応えるつもりか否か、その返事を。
　つい先日も陣は、千絵との共通の友人に指摘されたばかりだ。
「千絵ちゃんはきっと、七枷君が引き留めたら『クラン＝G』を売らずに日本に残るほうを選ぶと思う」
　ただしそれは、千絵の人生を半分引き受ける、つまり人生のパートナーとなる前提で引き留めた場合だ。
「だって千絵ちゃんって、七枷君のこと好きでしょ。気づいてるよね？」
　気づいている。
　弱い自分を叱りたい気持ちだ。無意識下で気づいてはいたが、気づいていないと思い込もうとしていたのだから。
　たしかに、千絵ちゃんのことは好きは好きだ。
　でもそれがライクかラブか……いまだにはっきりとは、言い表せない。
　はっきり出来ないのは――。
　陣の脳裏に芋煮紅美の姿がちらついた。「キモ」と言って笑う紅美、泣いている紅美、ぼんやりとたたずむ紅美の姿も。
　紅に対しての思いともかち合ってるから……なんだと思う。
　芋煮紅美は危なっかしい存在だ。初対面のときからずっとそうだった。陣からすれば彼女はいつだって、薄い氷が張った湖面に立っているように思えてならない。しかも肩がきしむくらいの重たい装備を背負って。
　紅の身は色々なことがありすぎた。いまも手放しで喜べる状態じゃない。
　あの日紅から聞いた
「今度はもう、離さない」という言葉もなんか、澱のように頭の片隅にたまったままだ。
　紅のことも好きは好きだ。同じくライクかラブかは……おい自分！　千絵ちゃんへの気持ちと一緒なのかよ！
　わがことながら、いや、わがことゆえにいらだちを感じる。これを青春のジレンマなどと大人は呼ぶかもしれないが、高速で回転する全自動洗濯機内部のような渦中にいる陣がそのように客観的な心境になれるはずもなかった。
　紅には、幸せになってほしいんだ。
　それができる相手が僕なら喜ばしい……けど、僕じゃなくてもいい……のかもしれない……いやいやよくない……気もする……ああ、こんがらがって頭の中よくまとめられん。
　決定的になる切っ掛けができるならほしいよ。
　でも世の中、そうそう都合よくはできてないらしい。
　日ごろはまったく信心深くない陣なのに、このときばかりは天に助けを求めたくもなっている。
　ごく短いひとときながら、これだけの考えが陣のなかをかけめぐったのだった。
　状況を整理しよう。話はシンプルだ。
　選択肢はふたつ。現在陣の視界には、恋愛シミュレーションよろしく三角形のカーソルが点滅している。

（選択肢1）・『僕は千絵ちゃんのことが好きだ！　店を売らないで日本に残ってくれないか』
（選択肢2）・『ごめん、千絵ちゃんの気持ちは受け止められない。……店を売るんだね？　ドイツに行っても、元気で』

　選べ。そして力強く押せ。心の『A』ボタンないし『○』ボタンを！