「わあ……」
　豊田 華露蘿の瞳は澄んで、夜空を見上げます。
　星空の中へうっそりと佇む金殿玉楼。雄大にしてたおやかな曲線の美。完璧な女体のごときシンメトリー。
　タージ・マハール！　その威容が今まさしく、華露蘿の目の前にそびえているのです。
「なんて綺麗なんだろう」


　遠景の写真しか知らなかった本物のタージ・マハールは、近づいてみると大理石に刻まれたレリーフや、精緻な模様がそこかしこに掘られているのが分かります。
「象嵌細工というんですって。美しいわね」
　滑らかな白い壁をそっとなぞり、木野 星太郎はうっとり。
「どれほどの時間と労力をかけて建てられたものか。ちょっと想像がつかないわよね」
「ええ、本当に……そうだ、知ってますか？　タージ・マハールを作った人」
　どこか夢見心地な星太郎へ、華露蘿は旅行へ来る前にネットで仕入れた知識を披露してくれました。
　タージ・マハールを建立したムガル帝国の第５代君主シャー・ジャハーンは、大変な愛妻家であったといいます。妻、ムムターズ・マハルが若くして亡くなった際、彼女の死を悲しむあまりに、ジャハーンの立派な顎髭は真っ白になってしまったのだとか。その後も妻の死が胸に影を落としてか、それまでの華美な服装をあらため簡素な衣服を纏うようになり、豪華な宴や麗しい音楽も自身から遠ざけたそうです。
　そんな妻への尽きない想いが、この巨大かつ絢爛なお墓として形を成したのでしょう。
「そう……素敵なハナシだわ」


　星太郎はますます、うっとりほわわん。
「まあ、晩年のジャハーンは放蕩にふけって身体を壊したり、息子たちの間で皇位継承争いが起こってしまったり、波乱万丈だったそうですけれど……それでも彼が亡くなった後、遺体はこのタージ・マハールに運ばれて、王妃の横へ安置されたそうですよ」
「最後は愛する奥さんのもとへ帰ったのね」
　『壮麗王』とも称された巨大帝国の皇帝と、その愛妃が眠る美しい墓廟を眺めて、彼らの壮絶な人生に想いを馳せながら、ふたりは手にしたグラスをちりんと合わせます。グリーンにたゆたうレモネードは星明かりを映して、きらりきらめきました。



　トワ・E・ライトフェロゥ、一歩も譲りません。
「ダーカーラー。インドのPeopleは、みんな踊るデス！　カエデもいっしょにLet's Dance！」


「映画の話だろ、インド人が誰でも踊るもんだと思ってるんじゃねえ」
　奔放すぎるトワの保護者たる夜海霧 楓は眉をひそめて、けんもほろろです。

「やれやれ……」　　　　　

　トワが言っているのはもちろん、昨今一部で大人気なインド映画、通称ボリウッド映画のワンシーンのことでありまして。無論のことインド人がみな突然、音楽に合わせてぴしりと揃った振り付けを披露するわけもありません。
　だというのにトワときたら映画の影響バリバリ、それがインド的フツウだと思い込んでいるらしいのです。今この場でノリノリのボリウッド・ミュージックが流れ出そうものなら、周囲のインド人も観光客たちもまとめて踊り出すと主張して引かないものだから、楓も苦虫を噛み潰したようなお顔になろうというものです。
「ダッテ。ステラとユチェンも踊るってゆってるマス」
「ステラ、踊るのー！」
　元気な声にふと振り向けばステラ・ラ・トルレは、んくんくんく。あっ、なんか飲んでる！
「トワ、トワ！　いつ音楽が流れるのー？　ステラは準備バンタンなのー、キレッキレのダンスでオーディエンスをミリョーするのー！」
「もうすぐ始まるはずデス。トワもウォームアップはカンペキデス！　いつでもCome on！」
　浮かぶ幼女は赤ら顔ですっかり出来上がっておりまして、めいっぱい踊ったろうという気概に満ち満ちているようです。トワと肩組み、今にも歌い出しそうなくらいです。
「……師匠」
「あ？　どうしたユチェン」
　いっぽうわりかし生真面目で純真な申 雨晨は神妙な顔を浮かべて、楓へ言いました。
「ダンスは武術にも通ずるものがあるって聞いたことある。オレも踊ったら、強くなれるかな！？」

＼きりっ／
　純粋がゆえに、こいつもちょっとズレてるんだよなぁ……と楓はため息ひとつ。
「あのな。だからあれはインド映画の話であって、現実に誰もかれもが踊り出すわけ」
　な～んて言った、その瞬間。

　♪ちゃ～ららら～ちゃ～らり～、じゃんじゃかじゃんじゃかじゃかじゃじゃん！

　どこからともなく現れた楽団のノリノリ・インドミュージックに乗って、その場に居合わせた人々が一糸乱れず、びしりっとポーズをキメ！
　魅惑の腰つき、お尻をふりふり。揃いも揃ったステップ踏んで、くるり回って華麗にジャンプ！
　トワとステラが手を取り浮かび、くるくるくるりと宙泳ぎ。楓とユチェンはずんちゃかずんちゃ、キレッキレの体さばき。
　誰もかれもが舞って踊って、この世の全てはひとつとなり、びっと指差す満天の星空。月白風清のごときタージ・マハールを彩るは、目も眩まんばかりの大花火！



　新年を祝う花火がいくつもいくつも、数え切れないほどに夜空で弾けます。色とりどりの光が、純白のタージ・マハールを七色に染めては消え、染めては消えていきました。
　はてさて。今年はいったい、どんな年になることでしょう。悠久の時を経てなおどっしりと構え、それでいて何色にも染まる寛容さを見せる目の前のタージ・マハールが体現するかのような、美しく素敵な年になればと願ってやみません。
　そんな想いを込めて……Happy New Year！