薬局アネモネの思惑｜リアクション

薬局アネモネの思惑

　束の間の静寂に声が響く。
「俺が先陣を切ってやるぜ！」
　上半身は寝子島高校の制服。下半身は動き易いジャージで美崎操が颯爽とリングに上がった。目尻を上げて周囲を睨み据える。
「果たし状を叩き付けられて黙っていられるか！　決闘だ、八十八旗ぃ！　さっさと出てきやがれ！」
　操は掌のサプリメント、ニャンダーＺを貪るように食べた。
　その様子に観客の一人、真央は不思議そうな顔でじっと見ている。
「真央ちゃんが知ってるセンパイにそっくりなのだ？」
　声が聞こえたのか。操は真央に向かって親指を立てた。
「俺は兄さんの妹なんだぜ！　それより、八十八旗だ！　のこのこ現れて泣きっ面を晒しても知らねーからな！」
「そんな言葉は貴女のような淑女には似合わないな」
　隅にいた人物が丸々とした体躯で跳ねるようにやってきた。
「え、おまえが八十八旗なのか？」
「対戦相手を忘れないでくれよ」
　リングの側で深々と被っていたシルクハットを取った。強風に煽られたような金髪の八十八旗信彦が自信に満ち溢れた表情で現れた。
「八十八旗、その格好はなんだ？　決闘なんだぞ」
「わかっているつもりだよ。それより、操ちゃん。手を貸して欲しいな」
「淑女の俺に頼むんじゃねー」
　文句を言いながらも操は信彦の手を握ってリングに引っ張り上げた。イヴが用意したヘッドギアとグローブをやんわりと断り、不敵に笑う。
「俺は操ちゃんに野球拳の勝負を挑む！」
「よっしゃ、ん、なんだって？　や、野球拳だと！」
「そうだよ。野球拳だ。もちろん、ルールは知っているよね」
「し、知ってるさ！　じゃんけん勝負だろ」
　信彦はサッカーの審判の如く、コートの胸ポケットから黒いカードを取り出した。ろっこんの「Ｍｏｎｅｙ　Ｉｎ　Ｔｈｅ　Ｂａｎｋ」は相手に信頼感や安心感を与える。ただし、観客の前で絶大な効果を望むことはできないだろう。
「ただのじゃんけんではないよ。負けた方が服を脱ぐのだからね。もちろん、途中で棄権してもいいよ。その時は負けを認めたことになるけど」
「勝ったつもりになってんじゃねー。じゃんけんに負けなけりゃ、脱ぐ必要もねーしな！　だがな、ちょっとお前、着込み過ぎじゃね……？」
「逃げるのかい？」
「お、俺が逃げるわけねーだろ！　ピンチの方が燃えるってもんだ！」
　信彦は相手を称える拍手を送った。まだ提案があるのか。人差し指を立てて言った。
「勝者と敗者の権利も決めて置こう。俺が勝った時は操ちゃんをお持ち帰りする」
　操の動揺する声が聞こえなくなる程に観客が騒いだ。ほとんどが野次の類いであった。
　実況らしく、鋭二が隣の天野を横目にした。
「やはり、股間が暴れん坊将軍なのでしょうか」
「そんな話を僕に振られても困るんだけど。多感な時期だからね。まあ、それもあるのかな」
　黙って聞いていた修が口を開いた。
「十代の後半になって男性ホルモンが急激に増加する。主にテストステロンだ。その影響だろう。ちなみに俺の高揚感もホルモンのせいだ」
「俺もホルモンだな」
「僕もそれでいいよ」
　三人は期待を込めた目をリングに向けた。
　信彦は周囲が静かになるのを待ってから、言葉を続ける。
「俺が負けた時は操ちゃんにお持ち帰りされる」
「い、いらねーよ。俺が勝ったら晩飯奢れよ！」
「デートの誘いか。それも悪くないな」
「デ、デデ、デートとか言うなぁ！　さっさと終わらせてやるよ！」
　二人の野球拳による勝負が始まった。

　じゃんけんの前に信彦は拳を突き出した。
「俺はグーを出す」
「絶対に嘘だ！」
　操の反論に、どうかな、と信彦は笑って答えた。
「そ、そんな卑怯な手に俺が引っ掛かるかよ！」
「信じなくてもいいさ。そんなに脱ぎたいのなら」
「誰が脱ぐかあああ！」
　怒声の中、操はパーを出した。瞬間、悲痛な声を上げる。信彦は平然とチョキを出していたのだ。
「操ちゃん、引っ掛かったね」
「ずりぃぞ、ちくしょう！」
　操は乱暴に靴を脱いだ。多少、鼻息も荒くなる。
「次は俺が勝つからな！」
「いいですよ。次はグーを出しますか」
「ああ、うるさい、うるさい。黙ってじゃんけんしろ」
　操は投げやりな言い方でチョキを選んだ。信彦は宣言した通り、グーを出した。
「操ちゃんに信用されないなんて……俺はとても悲しいよー」
　信彦の棒読みの言葉に操は歯軋りを起こした。脱いだソックスをリングに叩き付ける。
「まだ負けたわけじゃねーからな！　勝負はこれからだぜ！」
　重ね着で雪だるまと化した信彦に操は敢然と言い放った。

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