化かし狐のお礼参り｜リアクション

化かし狐のお礼参り

「ああっ！　どうして、こんなことに……」
　今にも転びそうな勢いで摂狐に駆け寄ってくるのは、『化かされおっさん』として知られた鹿沼茂之だった。三十年あまりの時をともに過ごした妖狐の変わり果てた姿に青ざめる。伴となった神無月文貴と毒島柘榴は黙って彼を見送った。ここからは鹿沼と摂狐、二人が解決すべき問題だと心得たのだ。同行している八神修も様子を見守る。

「茂之……来たのか……」
「もうおとうさんとは呼んでくれないのかい」
「お前は仕返ししないのか。ここにいるほかの連中のように」
「どうして！　僕は一度だって……」
そこに白い手が伸びた。彼らと共に現場にやって来た毒島林檎だけは、鹿沼と一緒に飛び出したのだ。父の柘榴が危ないと止める間もなかった。ポケットから菓子を取り出しくわえると、摂狐の顔に手を伸ばす。
「何をする、きさ……ま……」
妖狐はアイアンクローをかけられた形になる。だが林檎の手は攻撃のために伸ばされたものではなかった。深いもの、浅いもの、無数の切り傷が目覚しい速度で治癒していく。林檎の傲慢なる治癒者の力『オモルの腕』のなせるわざだった。
「敵を治療するなんて、むざむざ仕返しされるチャンスをくれてやっているようなものですよ？」
エレノア・エインズワースは背を向けたまま、そう言った。ちらりと一瞬だけ後ろを振り向く。
「俺はこれでいい。傷ついた奴を放っておくなんて、できない」
摂狐は疑わしげな目で林檎を見ていた。黒い目と、林檎の赤い瞳がぶつかり合う。
「今から言いたいことを勝手に言うから聞け。けがしたら俺のところに来い。それから……今は摂狐だっけ？　おっさんを見ろよ。ずっと会いたがってたんだぞ。復讐なんかしないで、ただ遊びに行けばよかっただろ」
なぜか照れたような顔をしながら、林檎は稲荷寿司を取り出した。
「ほれ。いくらでも食えんだろ。おいしくできたんだからな！　復讐なんてほどほどにな……それから二匹とも、『優しく強くなれ』よ」
その言葉に、摂狐ではなく柘榴、そして鹿沼がはっと顔を上げた。それは幼い柘榴に鹿沼がかけた言葉と同じ。

　緑の瞳は笑みの形になっていたが、その心中は別な感情で満たされていた。日向透は『とある筋』から、この島に狐の妖怪が現れ、人に復讐すると宣言したという情報を得た。狐のお礼参りが行われるのは今夜。島はあえて言うなら妖気とも表現すべき異様な空気で満たされていた。もれいびとなった透にも、その空気ははっきりと感じ取ることができる。肌をちりちりと刺す気の落ち着かなさ、この事件にまつわる絆の気味悪さに、透は思わず笑いをもらした。それは失笑と言う名の冷たい笑いだ。
「ふふふ。実にいい話です。鹿沼と言う男は優しい男……」
狐に化かされることを了承し、ただ受け入れて生きてきた。人同士で結ぶべき絆を結べず、恋人でも家族でもない――それどころか人間ですらない妖怪と共依存のような関係を続けてきた男。
「そして、そんな男に協力する者たち。彼らもまた優しい人間」