「おとうさんおとうさん」
男は振り返った。小さい頃からずっと知っている声。あの少年だ。この季節の夕暮れになると、いつも自分を迎えに来るのだ。
「おとうさん。迎えに来ましたよ」
待っていたよ。さあ行こうか。
『おとうさん』は招かれるまま、少年の後ろをついていった。
見渡す限りのススキ畑、黄金の丈高な絨毯が目の前に広がる。少年の声がやさしく招いた。
「おとうさんおとうさん。こっちこっち」
こんな場所、島にあっただろうか? 美しいススキ畑だ。おかしいな、もう秋だっただろうか?
踏み出すと、がくんと膝が沈んだ。下は湿地になっているようだ。泥まみれになった脚を見て、少年が笑う。
「おとうさん。こっちこっち」
「待て待て、今行くから。それにしても深いな。ああ深い。ああ深い」
河原には人だかりができていた。
「おい……また化かされたのか、あのおっさん」
「困ったもんだねえ」
「だんだん増水しているってのに、毎日化かされて、毎日河で水浴びかい」
男は甚平を腰までまくり上げ、うつろな目線を宙に漂わせたまま猫又川に浸かって足を交互に上げ、ああ深い、ああ深いと繰り返していた。そばにはススキ畑も、少年も、何もない。
物陰から、丈の短い着物を着込んだ少年がその様子を見て笑っていた。男を化かした少年の体からは、尖った耳とふさふさした尻尾が生え出ているのだった。
男は毎日狐に呼ばれ、化かされて猫又川に入る。梅雨のせいか、猫又川の水位はだんだんと増して行き、それと同時に男もどんどん深い場所にはまって化かされるようになった。水はすねからひざへ、腰から胸へ。それでも狐のいたずらは止まらない。ずぶ濡れで我に返る男を見て、くすくすと笑うだけだ。
「おいおい! おっさん首まで漬かってるぞ!」
「……なあ。明日も化かされたら、死んじまうんじゃないのか?」
おっさんは顔だけを水面に出し、ああ深い、ああ深いと繰り返している。
【シナリオ概要】
猫又川には、人を化かして遊ぶいたずら狐がいるという話です。ガイドで化かされた『おとうさん』(旧市街の人々は『おっさん』と呼びます)は狐にとっては長年の遊び相手、またの名をいいカモ。どんなに化かされても、また引っかかってしまうのでした。化かされおっさんは旧市街ではちょっとした噂(+笑いもの)になっています。キャラクターはおっさんの噂を知っていたことにしてもかまいません。
とある日の夕方、事件は起こります。
狐にとってはいつものいたずら。でも、おっさんにとっては命の危険が近づいています。梅雨のせいか、猫又川は水かさを大いに増しているのです。さらに、狐は長年の『おとうさん』化かしに飽きたのか、彼をより深い方に押しやって遊んでいます。このままではおっさんの命が危ない! 皆さんが川に近づく日には、おっさんはほぼ完全に水没しているでしょう。
川周辺(地図のI-6付近)はもれなく狐化かしの効果範囲に入ります。長年人を化かしてきた狐は、いたずらの名人。しっかりした対策をしておくか、よほど意志力の強い人でなければ、もれなく川で無様な姿を晒すことになります。
ただ「気合で耐える」「がんばる」など曖昧なアクションを宣言した場合は、狐化かしに負けます。具体的な対策を明記してください。
【狐化かしについて】
狐化かしはそのすべてが幻です。実際にあるように見えるものはそこにはなく、聞こえる音、感じられる匂いや味、感触もまやかしです。ですが化かされている人には、それがあたかも現実のように感じられるでしょう。人によって見る幻の内容は違ってきますが、化かされる相手の心に眠っている何かが引き出される場合が多いようです。
ダイエットで甘いものをがまんしている人にはお菓子の山が。
好きな気持ちを抑え込んでいる人には愛しの君が。
過去のトラウマから目を背けている人にはその出来事が。
記憶を失っている人には、思い出すきっかけが与えられるかもしれません。
これに耐え切れなければ、たとえおっさんの救命救助が第一目的であっても、幻の世界に囚われてシナリオ終了です。
【狐について】
狐の少年は、短い和服を着た、坊主頭の小学生ぐらいの男の子に化けて現れます。昔風のその姿は、現代の寝子島ではちょっと目立ちます。いたずらをしている最中は、必ず川の近くのどこかに隠れ、人々があたふたする様子を見て楽しんでいます。狐としての姿を暴き出すには、ちょっと工夫が必要そうです。
【おっさんについて】
かなり頭髪のさみしくなってきた50代の中背の男性、旧市街の住民です。やさしく気弱で、度の過ぎたお人よしでもあります。最近ちょっと太り気味。ガイドと同じ甚平を着、下にランニングとステテコを着用しています。足はゴムサンダルです。
化かされてみますか? 狐をこらしめちゃいますか?
おっさんを救うナイトになってみますか?
お好きな目的で参加してみてください。