化かし狐のお礼参り｜リアクション

化かし狐のお礼参り

　九夜山の中腹から町並を見下ろす二つの影があった。童子の姿をしているが、生え出た獣の尾と耳が、彼らの本性は人ではないことを物語っている。
「あに様。本当にこのようないでたちでよいのでしょうか」
童女の姿をしたあやかしが、やや年長の少年に声をかける。声音は不安げだ。
「馬鹿な人間どもの目が欺ければそれでいい。我らには誇り高き妖狐の姿があるではないか」
「はい、ですが」
「晋狐、くだらないことを言うな。この摂狐の企みは完璧よ。お前は俺に従えばよいのだ」
晋狐と呼ばれた少女妖怪は口をつぐむ。彼女が不満に思うのは、兄妖怪である摂狐の物言いだけではないようだ。晋狐はどうにも古臭い赤いジャンパースカートをしきりに引っ張っていた。

　昭和の香りが色濃く漂う寝子島旧市街。その端の方に小さな古びた家屋がある。住んでいるのは五十男が一人きり、人の縁も薄くこの年まで恋とも友情とも縁遠い、寂しい人生を歩んできた。そんな男の家から、今日は明るい光と楽しげな笑い声が漏れてくる。
「ほうれおっさん、飲め飲め！　全部神無月のおごりだからよ！」
上機嫌で家の主――『化かされおっさん』、『狐憑き』と笑われ、疎まれてきた男、鹿沼茂之に酒を注ぐのは毒島柘榴だ。あふれんばかりに注ぎ、慌てて鹿沼が口をつけるのを見てまた笑う。誰もが一見して『怖い』と評する外見を持つ柘榴が、屈託なく笑っていた。頬の大きな傷が笑みにあわせて楽しげに揺れる。
「おいおい、そいつはちょっとやそっとじゃ手に入らねえ大吟醸だぞ。こぼしたらただじゃおかねえからな」
物騒なことを言いながらも笑みを浮かべているのは神無月文貴、神無組の若き四代目である。数々の逸話を生むインテリ極道、凄みの利いた薬局店長、街の笑い者だった化かされおっさんという奇妙な取り合わせの三人は、一緒に飲み明かそうという約束を果たさんと、ここに集まっていた。こじゃれた呑み屋のセッティングも考えたのだが、鹿沼が「僕と一緒に出歩いたら君たちが恥をかいてしまう」などと言うものだから、結局集まるのは彼の家になった。
鹿沼は二十センチほども身長差のある柘榴と文貴の間に身を縮こまらせて座りながらも、心から楽しそうな表情を浮かべ、酒をちびちびと飲んでいる。小さなころから『気弱だがやさしいおっさん』だった鹿沼は、二人が成人し、子供を持つようになった今でも変わらないままだ。変化がないと言うより、まったく前に進んでいないように見える。それはとても正常なこととは言えなかった。狐に化かされ時が止まったままの鹿沼の時を進ませてやるための、男たちの計らいがこの酒宴であった。
「おっさんほらほら、見てくれよ。俺の娘！」
柘榴は得意げに一枚の写真を示す。子供にしてはクールな表情を浮かべる、毒島林檎の幼少のころの姿があった。健康的な肌色に輝く銀髪、ルビーのような赤い瞳が印象的だ。
「柘榴くんの娘さんか。いまいくつだい？」
「十五さ。最近言うこと聞かなくてねえ……」
鹿沼は写真に写る林檎の姿に目を細める。
「君の小さいころによく似ているね。優しく、強い子なんだろう」
「ああ。でもって、ちょっと不器用で……悪いとこまで似ちまった」
（やれやれ、また始まったぜ）
文貴はそう思う。柘榴が娘自慢を始めたらそう簡単には止まらない。止めるつもりもなかった。同じ年頃の娘を持つ身、文貴には柘榴の気持ちがよくわかるからだ。そしてまた、鹿沼は喜んでそう言った話を聞いてくれる。
（喜んで……か。おっさんは何でもただ受け入れちまう。ここで悔しがったりできるなら違うかもしれないんだけどな）

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