化かし狐のお礼参り｜リアクション

化かし狐のお礼参り

「二本尾の狐、出ておいで。僕は何もしないよ」
しんと森の中は静まり返ったままだ。境内から呼びかける刻人・F・ミセリアのそばに、オーマ・トンノは身じろぎ一つせず立ち尽くしている。すでに任務の指示は上司である刻人から受けていた。次の行動を起こすべき時が来るまで、オーマには動く理由がない。
「人間として、君たちと会って話をしたいんだ。出てきておくれ」
刻人は穏やかな調子を崩すことなく、根気よく呼びかける。黙って見ていたオーマがふと首を巡らす。境内の裏から姿を現したのは童女だった。いち早く物音を聞きつけたのはオーマではなく彼女の方であったのだろう。刻人はにこりと笑う。童女の体からは、お目当ての相手であることを示す二本の狐の尾が生え出ていたからだ。
「私たちに呼びかけるあなたたちは、何者です」
童女の物言いは外見に反して大人びている。物腰と二本の尾は、この妖異がそれなりに長い年月を経ていることを示していた。少し遅れて、少年の姿をした同種の妖怪が現れる。少年妖狐は刻人を見るなり、怒りに顔を高潮させた。
「お前はあの時の！　この摂狐によくもあのような……」
忘れるはずがない、摂狐と名乗るこの妖怪は、刻人のろっこんの力によって死ぬような思いをさせられたのだ。狐が言葉を吐きつくす前に、刻人はすっと膝を折り、額と手のひらを地に着けた。そのまま二匹の妖狐の前で土下座する。
「どうか先日の非礼、許してほしい。力に自惚れ、誇り高き妖狐に対して何たる無礼を働いてしまったかと、あの日以来、自分を責め続けていたんだ」
「何をいまさら！」
「心から詫びるよ……。こうして人は昔から、君たちに頭を下げて生きてきた。僕もはじめからこうすべきだったんだね」
頭を伏せ、最大級の謝罪の言葉をつむぐ刻人の顔を見ることができるものは誰もいない。誰にも気づかれることのない、自らの体と地面で作られた闇の中で刻人はほくそ笑んでいた。
（狐にしゃべらせず、こちらのペースに持ち込んでしまえば、あとはすべて計画通り）
どもりながら、「わかればいい」という摂狐に、刻人は顔を上げ立ち上がり、うやうやしく一礼をした。
「実は今日は、とても大切な話をしに来たんだ」

「俺たちの威厳を取り戻す……と？」
それこそはもっとも自分の求めること。摂狐は食い入るように刻人を見つめた。横の童女の姿をした狐は晋狐と名乗った。彼女もまた、興味深げに耳を傾けている。
「君たちも知っているよね。この島は神のおこぼれで力を得たもれいびたちであふれかえっている。それこそ石を投げればぶつかるほどにね。君の居場所はどこにある？　あの中年男性一人にしかないんじゃないかい」
摂狐は憮然とした顔で話を聞く。言い返したいことは山ほどあるのだろう。兄狐が険しい顔になるたびに、妹分の晋狐が袖を引いて小さく首を振るのだった。摂狐もまた、腰を低くして語る刻人に強く出ることができず結果じっと話を聞く形になる。
「人々は数と力に任せて、自分たちの異物を排除して満足しようとしているんだ。幼稚に過ぎるね。僕はそんな傲慢な連中より、君たちの方が上であると証明したい！」
語るうちに、刻人はいつもの彼らしさを取り戻しているように思えた。笑顔で、恥ずかしげもなく、芝居がかった調子で口上を述べる。しかしなぜか不思議とそんな姿に違和感もない。オーマは無表情なまま自分の上司を見ている。
（食えない人だ）
と一人ひそかに考えた。しかしその言葉が誰かに伝えられることは決してない。
「そうだ、上か」
妙案を思い立ったと、刻人は笑う。
「上。人の上にあるもの。神になればいいんだよ」