化かし狐のお礼参り｜リアクション

化かし狐のお礼参り

（妖狐の『フツウ』っていうのは、いったいどういうものなんだろう）
　狐の妖怪の復讐宣言を知った市橋誉が真っ先に思ったのはそんなことだった。妖怪には妖怪の基準があるだろう。知らぬうちに人間がそれを侵しているのかもしれない。誉は化かされ、川に沈められてもなお狐を憎まなかった鹿沼のことを思い返した。孤独な男と妖狐との、奇妙な絆。一人と一匹が長い年月をかけて作り出したその絆から生まれた事件を、誉は自分の目で見ていた。
「確かに幻術で人の心を乱す行為は褒められたものではないけど……」
『ねこったー』周りや寝子高校内では、もっぱら狐が悪いという話になっていた。人間の視点から考えれば、それは当然のことだろう。間違ってはいない。だけれども、誉にはそう決め付けることはできなかった。
「おっさんにとって、狐は必要な存在だったんだよな。そして摂狐にとっても……」
絆というものの強さ、大切さ、そしていったんこじれた時の難しさ……。そのすべてをよく知っている誉は、彼らの関係を否定することはできなかった。
「今のままじゃ、いけないけど……絆をもう一度、うまく結べないものだろうか」
ふたりの絆を、誰も傷つけず誰にも迷惑をかけないよりよいものに。誉は自分のできることを試してみようと思った。まずは狐に出会わなければ話にならない。誉は情報の収集に乗り出した。

　さてそのころ、摂狐と晋狐の妖狐兄妹は、寝子島高校星ヶ丘寮へと侵入していた。監視カメラも警備員も、二匹の力を使えばたやすく欺くことができた。『星ヶ丘寮』という名前こそ知らないが、この建物には自分たちを邪魔した連中が群れをなして住んでいるのだということだけはわかっていた。だからこそ、人間たちへの復讐の幕開けとしてこの場所を選び、自分にけしからん腑抜けた名をよこした小娘の元に真っ先に現れたのだった。
「晋狐。人間の中には妙な力を授かっている奴もいる。容赦はするな」
「はい。あに様」
妹分の若い妖狐、晋狐と共に、摂狐はまずこの『人間どもの巣窟』から復讐を行うつもりであった。足音を立てずに滑り込み、幻術で人の目をかいくぐって目当ての部屋に忍び込む。その時ぱちりと照明がついた。
「な、なんだお前は!?」
「あらあら。この前の狐さんですね。寮で準備して待ってた甲斐がありました」
にこにこと摂狐と晋狐を待ち受ける檜扇舞華。その手には大きな袋が二つ提げられていた。
「あの小娘はどうした！」
「まあ。ひょっとしてお部屋を間違えて来たのでしょうか。だとしても好都合ですが」
ずれたやり取りを続ける兄の袖を引き、晋狐が尋ねる。
「何者です、あに様」
「このにおい、覚えがあるぞ。川で邪魔をしくさった人間だな」
おぼろげながら舞華の存在を思い出し、目に鋭い光が浮かぶ。ずいと摂狐が前に出るのを、舞華はただ笑って見ていた。
「あたしには幻術は効きませんよ？」
舞華の言葉ははったりではなかった。確かに彼女は猫又川で妖狐の幻術にかかり、無数の幻を見ることには見たのだが……。それは単に、彼女の心の中に住まう二次元の世界の住人がよりはっきりと見えたに過ぎなかった。結果、彼女は幻に影響を受けることはほとんどなかったのである。
「では待っていたとはなんだ！　俺たちを罠にかけようとしたってそうはいかん」
「そうです。私たちは人間の子供だましになどひっかかりません」
「何のお話ですか？　あたしには個人的な恨みなんてまったくありませんので、そんなことを言われても困りますね」
けろりとした様子の舞華に、二匹の妖狐も少々面食らう。