化かし狐のお礼参り｜リアクション

化かし狐のお礼参り

　自分が鹿沼家の話題の中心となっていることも知らぬ毒島林檎は、薬局『アネモネ』のカウンター裏で座っていた。薬剤師である父、柘榴は日が暮れる前に店を飛び出してしまっている。林檎は形だけの店番を務めているのだった。
（今頃、親父はおっさんと飲んでできあがっちゃってるんだろうなぁ……。まったく）
柘榴から聞かされた鹿沼の話。三十年以上も妖怪狐に化かされ続け、それでも狐を恨まず、心の拠り所にさえしていたと言う。笑いの種にばかりなっていた鹿沼が、父の小さいころを見守って来た心優しい人間であったことも、林檎は父の話で知っていた。
（いい人ほど生き辛いって、なんだか変だよ……）
狐を追い払った祝いの宴、という名目で父は神無月文貴と一緒に鹿沼茂之の家を訪れている。帰ってくるのは夜遅くになるだろう。今日ぐらいは許してやるか、と思う林檎のそばの電話が鳴った。
「はい。薬局『アネモネ』です」
「おーう！　林檎か！　お父様のお願いを聞いてくれよ」
「ばっ……！」
酔いが回った父の声。柘榴の暢気な声に林檎は腹が立ってきた。
「なんかつまみ、頼むわ！」
「……んなっ!?」
「何でもいいから家にあるもん持って来てくれ。急いでな。あ、あいつには見つからないように頼むわ」
柘榴の言うことすべてが、かなり無理難題である。
「何考えてんだ！　娘に追加のつまみを要求するか？」
ぷりぷりと怒りながらも、林檎は行動を開始していた。少々早いが店を閉め、台所へと向かう。
「夜食の稲荷寿司……これしかないし、いっか……ってもー！　親父の馬鹿！」

　九夜山には謎が多い。昔は山にも人が多く住んでいたのだろうか、森に覆われた中にはかつての道の名残や建物の残骸、そして……
「きったないねえもう！　ああそっち、洗剤はやめとくれよ！」
ぶつぶつ言いながら、せっせと苔だらけの稲荷像を磨いているのは宇佐見満月とその知人たちだった。今夜起きるという化け狐のお礼参りの情報を「アホか！」と一蹴した彼女であったが、その行動は言葉と裏腹なものだった。
「宇佐美さん、これって本当にご利益あるの？」
狐像を洗う仲間が聞く。突然の誘いに何かと思えば、この辺にボロっちいお稲荷様はないか、と尋ねられ、幼いころの探検の記憶を掘り起こして答えた果てが掃除大会だ。
「狐は昔にゃ、神様の使いとされていたからねぇ。千年生きて一人前の化け狐になるって話もあるモンさ」
「ふーん……迷信じゃないの？」
『ひと』の知人には化け狐の話は非現実的なものでしかないようだ。
「そうでもないさ。今は人間が神様を信じなくなってるときたモンだ。さもしい世の中になったもんさね」

狐が街に下りて暴れれば当然お仕置きの一つもしてやるつもりだが、人間は悪くないなんて言うつもりはない。世が世ならあの狐も人々に慕われ、穏やかな心持ちで暮らしていけたかもしれないのだ。周りの草を刈り取って汚れだらけの像は拭き清めてやった。倒れていた片割れも、なんとかまっすぐな位置に起こしておいた。道がないどころか祠すら跡形もないのだから、たとえ清めたとしてもこの稲荷像を訪れる者は今後もいないだろう。
「それでも、ね。やりたいと思ったのさ」
満月はそうつぶやいて、清めた水で墨を摺り、手馴れた様子で札を書く。書道の腕前はかなりのものだ。像の間、祠があったと思しき場所に石を積む。札を納めて、店から持ってきた酒と稲荷寿司を供えた。
「大きな神社でやればよかったんじゃない？」
と知人は問うが、満月はこれでいいのさ、と笑うだけだった。手助けの礼をし、一人別れて山を降りる。手には掃除に使っていたほうきを持っていた。煙草に火をつけ、煙をくゆらす。
「さあて……突撃開始さぁ」

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