ねこの消えた日｜リアクション

ねこの消えた日

「刀っちたちも聞いたかい？　朝、頭の中に何か響いたよ■？」
「ああ。夜にはなんとかなるらしいが、それまでみんなの力になろうと思って」
「ええ。今のままじゃ気持ち悪くってじっとしてられやしない」
御剣刀に続いて、少し後ろで弘明寺能美子が答える。彼女にとっては名前喪失の危機なのだから、事態は深刻だ。
「そう■、能美……いえ、あなたには辛い現象だと思うわ」
ブリジット・アーチャーは能美子の名を呼びかけて、最後の文字が消えていることに思い当たり、とっさに少し言い方を変えた。能美子はその気遣いに気づいて、恥ずかしそうな、ばつの悪そうな顔をする。
「それじゃ、二人は大丈夫みたいだし、俺たちは他の様子を見てくるよ」
刀のその声は二人に聞こえただろうか？　新井すばるは突然、妙案を得たとばかりに目を輝かせた。
「ザッツライト！　ローマ字があるじゃないか！」
「なんですって？」
ブリジットもすっかりつられて日本語に戻っているが、それはこの際よしとしよう。光を取り戻したすばるはいつもの調子でいきいきとしゃべり出す。
「何を隠そう、母方の親戚の隣の家の人がローマ人で■、なおかつ、ボクの家の前の道はローマにつながっているんだよ」
ああ、すべての道はローマに通ず。すばるは探究心が旺盛だし高校生にしては博識だ、だがそれをここで褒めては、絶対に、いけない気がする。ブリジットは黙って話の続きを聞く。
「ローマ字で話そう！　頭の中でアルファベットにして口に出すとき日本語にすれば何の問題もないんじゃないかな？　さすがボク、頭いいよ、fantastic!」
自信ありげに、得意のウィンクをする。fantasticの発音だけはやたらにいい。ブリジットはよけいなことは一切、言わないことにした。頬にかかった金の房がうっとうしくて、横にそっと払う。
「それじゃ、やってごらんなさいな」
「もちろん。じゃいくよ？　よく聞いてて■……んんっ、■■！」
「……」
解説するならば、すばるは頭の中で猫、すなわち概念は理解しておれども現在発音することのできないあの生き物を表す単語をローマ字でNEKOと考えた。ところが何を使ってつづろうが日本語を担当している「ね」と「こ」の二文字は島から消え去ってしまっているので、やはり口に出したときには音はかき消えてしまった。
「無理に決まってるじゃない……」
ブリジットは美しい青い目をすうと細め、とがめるような視線ですばるを見る。
「あ、いいね、その冷ややかな目もすてき……じゃない、うそ、そんな目で見ないでください、ごめんなさい」
「すばる。今から日本語禁止」
「ええっ!?」
「そもそも、なんで私がすばるに合わせないといけないのよ？　■の前……違うわ、先日、英語教えたんだから、最低限の会話はできるはずよ」
「なにそれ……え、英語……」
「そうだわ、ついでだから刀も……あら、いない」
刀と能美子はとっくにこの場を離れている。自らの味方は誰一人おらぬ状態で、すばるはあがいた。
「えーと……そのー……」
「英語で！　In English, please?」
「え、SOS……」
絶体絶命のすばるの声が小さくなっていく。