猫又川の狐化かし｜リアクション

猫又川の狐化かし

　「俺も情報提供に協力するか」
『ねこったー』で真央の書き込みを見た民谷鋭二は、この騒動のため一肌脱ぐことにする。民間伝承や習俗に関しては、高校生らしからぬ知識を持つ彼は、持てる知識と力を注ぐつもりでいた。携帯から早速投稿を行う。回覧機能で多くの人に周知してもらいたいことも書き添えた。
『慣用句にもなっているが、眉に唾を塗っておけば、狐化かしは避けられる。成人なら煙草だ。狐は煙を嫌う。できるだけ多くの人に知らせてほしい』
よほどのことがなければ、これで防御できるはずだ。もしこの初歩的なまじないを突破してくるほどの幻覚だったとしたら。それは強固な意志、ひょっとしたら悪意に基づくものかもしれない。あるいは化かされる人間側に、大きな心の傷がある場合。狐が、単なる妖怪ではない場合。鋭二は猫目をしばたたく。
「今あれこれ考えてもどうにもならないな。夕方になったら、俺も現場に行こう。狐化かしには幻覚で対抗だ」

「この辺なら、いいかな」
　猫村翡翠は物陰に身を隠す。呼吸を整え、胸に手を当てて、静かに自分の鼓動を感じ取ろうとする。一定の間隔で脈打つ、命のリズム。それに合わせて翡翠は念じる。自分の中に眠る力よ、再び開かれよと。翡翠は目を閉じる。耳の位置が移動し、なかったはずの尾が生える。さらに翡翠は強く、深く念じる。少女の姿はぼやけ、ねじれて、煙が吸い込まれていくようにしゅるしゅると縮まっていく。服が消え失せ、肌がふわふわとした獣の毛に覆われ、緑の瞳の瞳孔は縦に切れ込んだ独特の形になる。
（ふう。完全な猫化はやっぱ、時間かかるな）
猫の姿に変じた翡翠はくるくると自分の尾を追うように回って姿を確かめた。
（よし。ちょっと調査に行って来るか）
生まれたばかりのしっぽをぴんと立て、翡翠・キャットはしゃなりしゃなりと旧市街の細道へ入って行く。

　ほどなく翡翠は、ひなたぼっこを楽しむ猫の集団に出くわした。
『見たことない顔にゃ。お前誰にゃ』
体の大きな、ボス格と思われる猫が凄みを利かせる。そこへキジトラの猫が一匹割って入った。
『待ってくれにゃ。この娘は最近見かけるにゃ。悪い娘じゃないにゃ』
翡翠がおっさんのことを尋ねると、猫の社会でもそこそこ知られているのか、二、三匹の猫が声を上げた。
『あの間抜けな人間にゃ』
『狐のいいようにされてる哀れな奴にゃ』
『いいや、狐こそ人間にお情けでつきあってもらってるにゃ』
猫の言うことは男自身から聞いた話と大差ない。翡翠は次に何かあったら、男を助けてくれないかと尋ねてみた。
『いやにゃ！　俺は水なんて大嫌いにゃ』
『まっ、水に漬かってるのを見たら、教えるぐらいはしてやってもいいにゃ』
（これは当てにはならないね。あたしが自分でやるしかないか）
変身を解いて、彼女自身の姿に戻った翡翠はそのまま猫又川を目指す。猫たちの意見で一つだけ気になることがあったからだ。
「狐の方がおっさんにつきあってもらってる？　わかんないな。二人はどういう関係なんだろう」