平穏なれ、曝書の季節｜リアクション

平穏なれ、曝書の季節

　御剣刀と小山内海は遅まきながら曝書に参加する。巻き上げ機の方は伊賀解理と鷺守昴で十分そうであったから、二人は自力で本を運ぶ手伝いをすることに決めた。
「さてさて、時間を食っちまったな」
海は黙って刀を見上げる。手がふさがっていると彼女は言葉を伝えられない。ちょっと貸せ、と刀は海の分の本を受け取った。
『そうだねでもたのしかった』
「見たことない女子がいたけど、知り合いか？」
『つきちゃん？　きょうはじめてあったえがすきだって』
「そうか。仲良くできそうだな」
『こんどゆっくりおはなしするんだ』
「いいんじゃないか？　しかし、舞にはびっくりしたな」
『だよねほんとそっくり』
「ってことは、小山内は見間違えたんだな？」
からかう刀に、海はちょっとふくれてみせる。刀の手から本を奪い取り、先に立って階段を上り始めた。海には少し重過ぎる量だ。
「おいおい、張り切るのはいいが、無理はするなって」
海はわざと急ぎ足で上っていく。慌てて追ってくる刀の気配を背後に感じて、少しくすぐったく思った。そろそろ怒ったふりをやめて、並んで歩こう。そう思って速度を緩めたとたん、がくん、と上がりきらなかったつま先が階段に当たった。

「……！」
　本が手から離れ、体は重力に引っ張られて落ちていく。背筋がひやりとした瞬間に力強く支えられ、海はすぐ下の階段に留まった。セーフティベルトのように刀の長い腕が海の肩を包んでいる。後ろからしっかりと抱きしめられていた。
「まったく……驚かせないでくれ」
深く息を吐きながら刀が腕を離す。海はそれがため息ではなく、緊張のあまり止めていた呼吸であったことに気が付いた。びっくりしただろ、ちょっとそこにいろ、と海を手すりにもたれさせ、刀は散らばった本を拾い集める。それから一番下まで飛んでいったスケッチブックを拾って海に渡した。海は急いでページをめくる。
『ごめんなさい』
「気にするな。怪我がなくてよかった」
『ありがとう』
しょんぼりとした海の頬が赤い。もういちど『ごめんなさい』を見せた。
「いや……俺こそ、とっさで手荒かったかも知れない」
（ううん。刀くんはとっても頼もしくて、あったかかったよ）
（小山内。無事でよかった。俺が、守ることができてよかった）
本当の思いは心の中だけで。海は新たな言葉を書き込んだ。
『おれいにおごるよ！』
「お？　いいのか？　じゃあ、299Coffeeの珈琲セットを頼むぜ」
『おわったらいっしょにいこうね』

　また、場面は図書室。七草八兵衛もこの流れに呼ばれるように足を踏み入れた一人だった。どたばたと騒がしい室内を眠たそうに見やる。
「間が悪いっていうか……うーん。こんな日にはのんびり読書でもと思ってたのにさ」
勉強にいそしむ同学年の生徒も、並んで本をいじくっている集団も、しんどそうな力仕事のくせに盛り上がっている連中も。八兵衛にとってはとても遠く、自分とは縁のない世界の住人のように思えた。
「帰るかなぁ……」
にぎわいに背を向けようとした八兵衛の目に、同じクラスの弓弦原譲の姿が留まる。隣り合って座るほかの生徒は、おしゃべりに花を咲かせながらわいわいと修繕作業をやっているのに、譲は周りに目もくれずひとりで黙々と手を動かしていた。ほとんど話したこともない相手だが、見ているとなぜか心がざわつく。自分でもどうしてかよくわからないまま、関心などなかったはずの集団に近寄り、譲の隣に立っていた。
「弓弦原クン、だよね。何してんの？」
「ああ。七草、か。さっきからいたのは知ってたが……本の修繕だ。やるか？」
答えながらも譲の手はてきぱきと動きを止めない。立ったままでいる八兵衛が気になるのか、ちらちらと生徒たちから視線が投げかけられる。それがなんとも居心地が悪くて、仕方なく八兵衛は譲の隣の席に腰掛けた。
「こういうことやるタイプに見えなかったから意外だなぁ。案外真面目なんだね」
「……やるなら教える」
譲は言葉少なに答える。その手さばきは細やかで正確だ。たちまち背の折れたハードカバーがテープで補強されていく。
「ああ……じゃ、頼む」
俺が不真面目なだけか……と思ったが、それを口にすることはなかった。譲から無言で修繕テープと、ページのとれかけた本が渡される。譲は必要以上の説明はしなかったが、作業の速度を落とし、つねに八兵衛に手元が見えるようにしながら修繕を進めていった。飲み込みのよい八兵衛は、すぐにその手順を覚える。しばし、二人の男子生徒は無言で本の補修と補強にいそしんだ。テープを切り分ける音と貼る音だけが続く。

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平穏なれ、曝書の季節

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