平穏なれ、曝書の季節｜リアクション

平穏なれ、曝書の季節

　時は少しだけさかのぼって、図書室の騒がしさとは無縁の星ヶ丘寮、その一室。ミルクのような白いロングヘアに赤い瞳。夢の中の少女のような可憐な姿は桜月のものだ。彼女がいることでハイクラス学生寮の一室は、いっそう現実とはかけ離れた空間であるような印象を抱かせる。
「……資料がないと、ここはうまく決まらないな」
指を離した画材が、ぱたりと紙の上に倒れる。いつもなら頭の中に浮かぶイメージを描き出す、それで事足りるのだったが、今日はいささか事情が違った。今回はどうしても自分に課したテーマにのっとった形で仕上げたいデザインがあったのだ。想像だけでは練り上げられない。何度考えても導き出される結論は同じだった。
「仕方ない。図書室になら資料があったはず」
手をつき、立ち上がる。紙の上に置かれた手も、腕の肌も、髪と同じく抜けるように白い。ただしこちらは血色が透けて、桃色の彩りを添えていた。憎らしいことに今日はまことに天気がよい。歩いて行くことは最初から選択肢になかった。
「タクシーを呼んで、すぐに校舎に入ればいい。思いついたらさっさと行ってしまおう。明日まで延ばすなんてありえない」
月はそうひとりごちながら出かける準備を整えるのだった。

　にこにこと上機嫌に桜庭円が歩く。今日は授業があまりない。でもきっと学校に来れば何か楽しいことがある。お友達にだって会える！　円はパートナーの子猫『にゃーくん』と共に、期待いっぱいに登校してきていたのだ。
「ん？　あれって……ひょっとしてあの子！」
円はぱちぱちと大げさなまばたきをして事実を確認する。タクシーから降りて、日の光を避けるように静かに歩いてくるのは、白い髪、白い肌の小柄な少女。バーチャル世界で出会った『彼女』の姿がフラッシュバックする。思わず円は白い少女を目指して駆け出していた。
月もまた、瞳を輝かせて駆け寄ってくる緑の髪の少女を見る。
（つい最近、あんな子と出会った、ような――）
円が月の目の前にたどり着く。互いの顔を間近で見て、とうとう二人は目の前の少女が何者であるかを確信した。
「ネトゲで会った子だ！　わあー！　すごーい！　しろーい！　そのまんまだね！」
「君は……もしかして『寝子島奇譚』の桜庭さん？」
「うん、そうだよ！　ほらほら、にゃーくん、にゃーってごあいさつして」
初対面なのに、初対面ではない不思議な関係。二人は並んで廊下を歩きながら、今まで話すことのなかった現実世界の話題を共有した。

「ねえ、月ちゃん……でいい？」
「かまわない。桜庭さんは調べ物かい？」
円が答える前に、懐のにゃーくんがんんみゃあ！　と鳴いた。
「あ、ううん。月ちゃんとお話したいだけだよ。どこ行くのかなって」
それと、円でいいのに、と屈託なく笑顔で付け加える。月は円の笑顔がまぶしいのと、自分に好奇心ではなく、素直な関心を寄せてくれるのがうれしくて、恥ずかしげに下を向いた。下に向けた視線の先には、自分と並ぶ友達の足がある。ともだち、という言葉を連想した自分に少しどきりとした。
「デザイン画にどうしても必要な資料があってね。図書室に行く必要ができたんだ」
「すごいね！　ボクにも今度見せてほしいな。月ちゃん絵がうまかったもんね」
「あ、ああ……ありがとう」
「ボクも図書室、行ってみようかな？　お邪魔じゃない？」
（とんでもない。こんな素敵な偶然もあるんだな。たまには昼間の外出も悪くない）
そっと、ささやくように漏れた月の本心。心を開くことを恐れ続けた少女の言葉は、小さな小さな声になってしまっていて、円には聞き取ることができなかった。
「んん？　いいかなぁ？　無理だった？」
赤い目が少し垂れて、悲しげになっているのを見て月の心はどきんと跳ね上がった。
「そんなわけがあるものか！　行こう、一緒に行こう」
「うん、ありがと！」
円がにっこり笑うと、月の心にもあたたかい日の光が差したように感じられる。二人は同じ歩幅で、同じ道を歩いた。
「にゃーくん入れてもらえるかな？　にゃーくんわかる？　図書館は静かなの。にゃーしちゃだめだよ？」
手で口を覆う仕草に合わせて、にゃーくんも同じ動作をしてみせる。その様子がなんとも愛らしい。
（ああ、私、笑ってる。楽しいんだ……この時間が）
月は自分に、思ってもみなかった変化が訪れたことを知る。つまらない目的地への移動時間は、友人と過ごすかけがえのない時間になっていた。

このページにイラストを設定する

平穏なれ、曝書の季節

シナリオ

シナリオデータ

シナリオスケジュール

参加キャラクター一覧