『脱出！　着ぐるみ包囲網２４時！』（５）

　確かに、かすかな潮の香り。陸地から吹き込む強い風により、乾いて煙たい土埃にかき消されて仄かにではありながら、夜海霧 楓の鼻腔をふと、そんな香りがくすぐりました。
　黄ばんだ白の灯台、その真下には楓ひとり。まだ他の面々は各所での情報収集の途中か、あるいは考えたくは無いにしろ、どこかで襲撃を受けリタイヤしてしまった可能性も無きにしも非ず。ともかく彼は腕を組み、仲間たちを待っています。彼自身は、道中で襲い掛かる着ぐるみには投げナイフとワイヤーで足止めし、無理に深追いすることもなく、危なげなくこの場へたどり着きました。
　と。眼前を、荒野に似つかわしくない蝶が一羽、ひらひらと横切って、

「まったくもー、どこもかしこも不気味なんですから！」
　ふわり。人の姿を現したのは、屋敷野 梢。
「よっ、と。何か見つかりましたかー？」
　彼女の問いに、楓はそっけなくもうなずき、灯台の根元に張り付けられた白いカードを指差します。
「まだまともだった頃の肉屋は、どうも精神的に追い込まれてたらしいな。その原因についちゃ、他の連中の情報待ちってとこだが」
「どれどれ？」



　　　　　名も無き灯台
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
　　　　　　肉屋の娘は、事あるごとにこの灯台を訪れたという。
　　　　　　家業の手伝いとして、豹のマスクなどかぶり滑稽で楽しい宣伝活動をする傍ら、
　　　　　　肉屋を取り巻く環境は、一家の精神を著しく逼迫させていた。
　　　　　　娘にとって、灯台から覗く美しい青さや、灯台守との小粋なおしゃべりは、
　　　　　　生々しく重い現実を忘れさせてくれる、ひと時の癒しと救いであったようだ。

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


「豹のマスク？　狐じゃなかったですっけ。灯台守っていうのは……」
「その名の通り、灯台の上にいる……っつーか雨宮校長なんだけどな。そういう役柄なのか、話しかけてもボケてて埒が明かねぇ」
　何か知っているらしい、灯台守には後ほど仲間たちが揃ってから、改めて話を聞くとして。ふたりはそれぞれに、事件にまつわる真相を予想します。
「なまはげってあるだろ。悪いことすると、肉屋が来るぞ！　なんて、元はそんな教訓話だったんじゃねーか？　だが、それには少しばかり現実味がありすぎた。町の連中は信じ込み、おかげで奴らは少しの見栄を含みながらも、現実になった……どっかの誰かみてーにな」
「なるほど、それも面白いですねー。でも、私の予想ではむしろ、肉屋の４人は被害者なんですよね。真犯人はきっと……５人目！　たとえば、猫。なんてどうでしょーか？」
「真犯人か、そいつは俺も同意だ……おう、来たな」
　話しているうち、ぽつぽつとたどりついた仲間たちが顔を揃え始め、持ち寄った情報は絡み合い、少しずつ形を成し始めました。



「おや？　人数が足りマセーンね？」
　全部で１０人がいたはずが、深縹 露草が彼らを眺めても、２人ほど足りないようです。
「神薙と多喜がまだみたいだね。どうする、待つかい？」
　サキリ・デイジーカッターが仲間たちに尋ねると、楓がかぶりを振って、
「情報のすり合わせは後からでもできる。それより、今は誰か、あの校長から話を聞き出してくれ」
　灯台の中を巡る螺旋階段を登り切ると、巨大な光を発するためのランプとレンズ、その脇に置かれた安楽椅子に腰かけて、灯台守、雨宮 草太郎が物憂げに佇んでいました。
　一条 紗矢香がその肩に手を置き、
「灯台守さん。ちょっと話を聞きたいのだけど、いいかしら？」
「ほっほっほっ。そうかい、そろそろお昼の時間かな？　今日の献立は何かな、ほっほっ」
「おぉーい！！　頼むぜ、マジボケてる場合じゃねぇんだって校長先生ー！」
　楢木 春彦のツッコミにも、ほっほっほ、と彼はにこやかに微笑むばかり。ちなみに、春彦の腕に巻かれたハンカチは紗矢香のもので、銃弾を受けた彼への応急処置であり、叫んだ途端に春彦は痛みに顔をしかめました。
「つつつ……どうすんだ、これ？」
　春彦が楓を振り返ると、彼は肩をすくめます。先ほどにも何度か、そうして話を聞こうと試みたものの、まるで噛み合わなかったとのこと。
「ふふふ。ここは私の出番のよーですね！」
　と名乗り出たのは、梢。壬生 由貴奈が怪訝そうに首を傾げて、
「こずえちゃん、どうするの？」
　おまかせあれ！　と雨宮校長先生へ歩み寄った彼女の策は、実のところ、ごく単純なものではありました。
「来ましたよー、おじーちゃん！　私ですよ私ー、可愛い孫が来ましたよー」
「うん？　おお、お前さんかい、よく来たねえ。ほっほっ」
　彼のボケが演技である可能性もあったものの、ともかく梢がそうして孫を装ってみると、校長先生は瞳に少しばかり明晰な光を取り戻し、話をしてくれる気になったようです。
「これって、オレオレ詐欺みたいなものじゃ……」
　生真面目な深倉 理紗子がつぶやきかけるも、仲間たちがまあまあまあと制して。
　やがて灯台守は、ぽつり、ぽつりと口を開き始めました。



「そう……あの頃は、お前さんのように。あの子もこの灯台へ、良く遊びに来てくれたものだったなあ」
「あの子？」
　梢は彼が愛おしそうに頭を撫でるのに任せつつ、聞き返します。
「あの子だよ。肉屋の娘だよ……あの頃肉屋は、サトクリフと結託して、ある悪事に手を染めていた。人の好い彼らのことだから、あの悪辣な男に言いくるめられて、仕方なく従っていたんだろう……気晴らしにここへ訪れるあの子も、いつもずいぶんと気落ちした様子だったよ、可哀そうに」
　遠く、まるで自身の思い出をなぞるように、雨宮校長は情感を込めて語ります。少なくとも今の彼は寝子島高校の校長ではなく、別人。灯台守そのものであるかのようです。
「だが……あの事件。あの日から、あの子は……いや、あの子だけじゃない。肉屋一家は、人が違ったように変わってしまった……」
「あの事件？　とは、何デースか？」
　肉屋が起こしたという大殺戮とはまた違うニュアンスを感じて、露草がそう尋ねると、灯台守は悲しげに眉を寄せて、
「店へ押しかけたサトクリフと肉屋は、口論になったようだ。きっと手を切りたいと、悪事からはもう手を引きたいと、そう申し出たんじゃないだろうかね。だが、サトクリフは納得しなかった。あの男は商売が駄目になることの怒りに任せて暴れ、その拍子に……」
　ぷつり、言葉は切れ。言いにくそうな彼の背中を梢が撫でてやることで、やっとのことで、彼は苦しげに声を絞り出しました。
「……生まれたばかりの、末っ子を傷つけ。死なせてしまった……」
　はっとして、梢と楓、それに紗矢香と春彦が顔を見合わせます。
「やっぱり、肉屋には幼い赤ん坊がいたのね……」
「だから、彼らはおかしくなってしまったんですかねー……？」
　紗矢香と梢がそう口にすると、灯台守はぷるぷると頭を振り、
「確かにその頃から、彼らは変わった。肉屋の娘はその後も何度かここへ遊びに来たけど、すっかり人が違っていた……いつもかぶっていた『豹』のマスクが、奇妙な『狐』に変わっていたから、私は聞いたんだ。どうしたんだい？　彼女はこう言ったよ、『私は、皆を騙す嘘つきだから』と……けらけら、可笑しそうに笑いながら。けらけら、けらけらと」
　と、唐突に。雨宮校長は、聞き入る彼らへぐるり、視線を巡らせて。
「確かに赤ん坊を亡くしたことは、この上ない悲しみだっただろう。でも、彼らを決定的に変えてしまったのは、それが直接的な原因というわけじゃない」
「じゃあ、一体何だっつーんだ？　何が一体、連中を変えちまったんだ？」
　楓の問いに、彼はごく簡潔な言葉を、ひと言で返しました。
　奇妙なこの町にあってもさらに奇怪な、その響きを。
「黒魔術だよ」



【55% vs 45%】