――この先、おもちゃの間。
　通路の突き当たりに見つけた扉に刻まれた言葉に、エレノア・エインズワースはくすりと音を漏らす。
「おや、おもちゃですか。この陰鬱な場所に似合わない、可愛らしいネーミングですね」
　待ち受けているものが可愛らしいかは別問題ですけど、と、付け足される不穏な言葉はどこか楽しげだ。
「誘われているような気がするけど……罠だとしても、進むしかないみたいだね」
　扉と、それから辺りの様子を検めて、緊張の色を纏った声を出すはロベルト・エメリヤノフ。
　この扉を開ける以外に道はなく、ここで進むことを諦める理由もない。
「それじゃ、ちゃっちゃとイっちゃうわよ～ん♪」
　クローネちゃんが待ってるわん、と、ミッシェル・ナイスゲイが扉に手を掛ける。
　胸に抱えるものはそれぞれなれど、ミッシェルの選択を止める者はいなかった。
　ギィィ、と立てる音だけは重々しく、扉は一行を歓迎するように簡単に開く。
　目前に広がる大広間へと足を踏み入れて周囲を見回し、
「わああ、すごい、本当におもちゃだらけだ！」
　なんて、桜庭 円は、肩の上のきゅーちゃんと一緒にくるりと目を丸くした。
　円の言葉に違わず、広間には、数も種類も限りないおもちゃ達が溢れている。
　それらを踏まないように心掛ければ、進むにも難儀しそうなほどだ。
　転がるおもちゃ達にじぃと観察されているような心地がして、ロベルトは背に冷たいものを伝わせる。
「なんていうか……気味が悪いね。実害はなさそう……いや、ないといいんだけど」
「何だっていいわ、とにかく先に進むわよ！」
　犬杜 初が、入ってきた扉とは対極に位置する扉を見留め、ずんずんと歩を進めようとするが、
「えー、脳みそも猪並みって感じ？　あの扉、立派な錠前がついてるんだけどー」
　と、茨城 音夢が毒舌全開の正論で彼女の足を止めた。
「いのっ……！　もう、じゃあどうするのよ！？」
　初が噛みつくように言って、音夢が心底面倒臭そうにぷいと顔を背けた、その時。
『……あれもこれも欲しい、ほしい。頂戴、ちょうだい？』
　歌うような声が、不意に広間中に響き渡った。
「あ、見て！　あれ！」
　円が、広間の高い天井を指差す。
　くるりくるりと宙を舞うのは、女性の姿をした半透明の『何か』――《強欲な幽霊》だ。
　ノートにメモを残していた大天使 天吏が、ふと手を止めて初へと声を掛ける。
「初ちゃん。おもちゃやあの……幽霊？　に、見覚えは？」
　問いに、初は首を横に振った。そう、と天吏は思案げな声を零す。
「ねえ」
　音夢が、気だるげに間延びした声で言って、くい、と顎で《強欲な幽霊》を示した。
「あの幽霊みたいなのお腹に鍵あるけど、あれじゃないの、錠前の鍵」
　指摘に、一行は飛び回る《強欲な幽霊》の腹部を見定める。
　そこには確かに、鍵のようなものが透けて見えていた。
「じゃあ、あれを倒したらいいのねん♪」
「じゃあ、あれを倒したらいいのね！」
　ミッシェルと初が、殆ど同時に言って全くトーンの異なる声を重ねる。
「……ハモるなら、イケメンと一緒がよかったわ～ん」
　複雑な表情で２人は思わず互いの顔を見遣り、ミッシェルが盛大なため息と願望を漏らした。と、
「ていうか、迂闊に近づくとか、あり得なーい」
　今にも《強欲な幽霊》を挑発し出してもおかしくない様子の２人に、音夢が牽制の言葉を投げる。
　クールなイケメンもいいわねん♪　と身をくねらせるミッシェルと、苦い顔になる初。
「ともかく、茨城の言う通り何か対策を練らないと危ないね」
　ロベルトがうんうんと頷いて、顎に手を宛がった、その瞬間。
『欲しい、欲しい、欲しい……』
　再び声が響いたと思うや――《強欲な幽霊》は、ギュン！　と広間の中央に急降下。
　そしてそれと同時に、部屋中のおもちゃ達がうぞうぞと蠢き始めた。
「ひゃ、な、何か始まっちゃったよ……？」
　おもちゃ達が迫ってくるのに合わせてじりじりと退きながら、円がやや固い声を漏らす。
「これが全部伏兵ですか、厄介ですね」
　周囲を警戒していたエレノアも足元のおもちゃを躊躇なく蹴り飛ばしながらそう零し、
「やだ、めんどくさーい。ライカ、オカマ、ＧＯ」
　音夢は、あまりの面倒臭さに仄か渋い顔になってそんなことを言ってのけた。
　この言葉（清々しいほど命令形だ）に、オカマことミッシェルが過剰反応。
「あらん、ＧＯしちゃっていいの？」
「とーぜん、あの幽霊にね。ほら、早く」
「ちょっと待って茨城何で僕？　さっき迂闊に近づくなって……」
　ライカことロベルトが、ミッシェルとは対照的に慌てた声を出すが、
「何でって、タフそうだからー？」
　早くしないと向こうから来るかもよー、なんて２人……主にロベルトを急かす音夢。
　ああもう！　と自棄になったようには言いながらも、
「どうせ、おもちゃと幽霊は蹴散らさないと駄目っぽいし……！」
　と、ロベルトはごく冷静な判断の元《強欲な幽霊》の元へと駆け出した。ミッシェルも、
「突っ込む相手がイケメンだったら良かったのに～ん！」
　なんて、欲望をだだ漏れにしながら、蠢くおもちゃを蹴散らしてロベルトの後ろに続く。
　かくして、ロベルトは《強欲な幽霊》の喉元に迫ったのだが、
「って、うわっ！？　なんかぞわってして……え？」
　すらりと伸びた《強欲な幽霊》の手が彼の胸に触れるや、相手は口元に弧を描いた。
『――貰った、貰った』
　嬉しそうに歌いながら、《強欲な幽霊》は、ぱん、と手を叩く。
　それと同時に、《強欲な幽霊》はロベルトと瓜二つの姿に変化していた。
　途端、ロベルトは己の視界がぐんと低くなったのを認識することになる。
「えっ？　あれ！？」
　予想外の事態の連続に混乱に陥りながら、己の手を見るロベルト。
　そこにはふっくらとして愛らしい、ロベルトが愛して止まないショタの手があった。
「は？　な、何で僕がショタに……もしかしてだけど、僕の能力取られた！？」
　頭をフル回転で何とか状況を把握して、だとしたらとロベルトは仲間達に訴える。
「攻撃系のろっこん持ちはまずい！　みんな、離れて！」
　広間に緊張が走る中、ミッシェルは余裕めいた表情で、
「アタシはもれいびじゃないから、そんなの怖くないわよん♪」
　と、鍵を掴み取らんと、今はロベルトの姿をした《強欲な幽霊》の腹部に手を伸ばした。
　しかし、伸ばした手は鍵に触れることなく。
　《強欲な幽霊》は半透明だが、その身体をすり抜けるのは叶わないらしい。
「やだ～、反則よ～ん！」
『貰った、貰った……だけど、まだ欲しい』
　頂戴？　と《強欲な幽霊》は囁いて、ミッシェルに軽く触れた。
　余裕めいて、口元を笑みで彩るミッシェル。
「偽者とはいえイケメンに触られるなんて役得ね～ん♪　でも、アタシから奪えるものは……」
　言い掛けた言葉が、最後まで紡がれることはなかった。
　ロベルトの姿から、ミッシェルそっくりに見た目を変えた《強欲な幽霊》。
　偽ミッシェルは、予備動作なしに本物に情け容赦のない卍固めを決めた。
「ちょ、いやああああああああん！！」
　絶叫。聞くに堪えないというふうで、音夢がタナトスを撫でる。
　自分がけし掛けたのに微塵も関心がない。この世は無常である。
「う、うう、完敗よん……せめて、せめて散るならイケメンとあんなことやこんなことをしながら……」
「完敗って言ってるのに発言に余裕を感じるよ！？」
　円がツッコミを入れる中、崩れ落ちたミッシェルがおもちゃ達に飲み込まれていく。
　うぞうぞ、もごもご、がさごそ。
「……って、いや～ん！　気持ち悪いわ～ん！」
　がばっ！　と勢いよく立ち上がって、ミッシェルはくねくねしながら纏わりつくおもちゃを叩き落とす。
　このオカマ、まだまだ余裕なのであった。強い。オカマ強い。