メリーさんのお手伝い大作戦、なの｜リアクション

メリーさんのお手伝い大作戦、なの

　部屋の窓を僅かに開けていた。レースのカーテンは仄明るく、気ままに揺れている。ゆったりとしたベージュのワンピースに黒いパンツを合わせた桜月が漫然と眺めていた。椅子に座って足を組み、膝の上に乗せたノートを机に見立てて頬杖を突いている。
　赤い瞳が微睡む。ぼんやりとした表情はどこか物悲しく、ドアの方に振り返っては溜息を吐いた。
　――わかっていたはずだ。今日は用事で彼女はいない。以前の私はモデルを必要としなかった。
　独りで描いていた当時を思い出せば、どうということもないはずだ。
　月はノートを膝の上に立てる。鉛筆を手にして動きを止めた。
　――とても白い。雪のようなものではない。これは空っぽの白なんだ。
　身体が大きく震えた。月は椅子の背もたれにノートを立て掛けて自身はベッドに俯せに倒れ込んだ。
　程なく横向きになり、近くにあった枕を引き寄せる。泣きそうな表情で強く胸に抱いた。何も見たくないという風に瞼を閉じて時間を過ごす。
　何かの気配を感じたのか。月は目を開けた。
「君はメリーさん？」
　ベッドの傍らに着物姿の女の子が立っていた。少し腕を広げて見せる。
「あたしはメリーさん。また島に来たの」
「あの夜、以来だね。今日は、どうしたんだい？」
　身体を起こした月は穏やかな表情で問い掛ける。
　――不思議なものだ。最初の出会いとは違って、今は心が休まる。
「今日のあたしはお手伝いさんなの。困っている人を助けてあげるの」
「手伝いか。それならモデルをお願いしてもいいかな」
「芸術のためなら仕方ないの。一肌脱いであげるの」
　女の子は締めている帯をくるりと回して結び目を解き始める。目の当たりにした月は慌てて止めた。
「いや、そっちのモデルではなくて、着物の方だよ。可愛い柄が気に入ったからノートに描かせて貰いたいんだけど、どうかな？」
「ナイスバディを見せ損なったの」
「そうなんだね。惜しいことをしたかな」
　女の子の平坦な胸を見ながら月は残念がって見せた。
「メリーさん、ノートの置いてある椅子に座って待っていて。クッキーと紅茶をメイドに持って来させるね」
「ありがとなの」
　十数分後、二人の穏やかな時間が始まった。
　女の子は背筋を伸ばして椅子に座っている。用意されたサイドテーブルの上の器からクッキーを摘まんだ。薄桃色の唇に押し当てて、そっと指先で押し込む。口をもぐもぐさせながらティーカップの紅茶を静かに飲んだ。
　月は向かい合わせた椅子に座ってノートに絵を描いていく。女の子の表情に取り掛かると、ふと口を開いた。
「座ったままだと退屈するだろう。少しお喋りをしようか」
「どんな話をするの」
「そうだな。君はどこから来て、何でお手伝いをしようと思ったの？」
「あたしは遠いところから来たの。お手伝いはクリスマスの時のお礼みたいなものなの」
　女の子は恥ずかしそうに俯き、刻むようにクッキーを食べる。月は微笑ましい目をして軽く頷いた。
「あの日は私も楽しんだから気にしなくてもいいのに。でも、ありがとう。おかげで良い絵が描けたよ」
　月は完成したばかりの絵を女の子に見せた。円らな瞳を向けて機嫌よく頭を揺らす。
「可愛らしく描けているの」
　女の子はすっと立ち上がった。テーブルの器は空でティーカップの中身も飲み干していた。
　別れを感じ取った月も椅子から立った。
「メリーさん、もう帰るのかい。遠いところに」
「まだまだ帰らないの。お手伝いは終わってないの」
　部屋の隅へと歩いて、女の子はふいに振り返った。
「あたしの住んでいるところは秘密なの。神秘のベールを脱がしてはダメなの。ナイスバディを見せられなかったのは残念なの」
　それとなく胸を前に突き出した姿で女の子は消え去った。
　月は一人に戻った。完成した絵に微笑み掛けて、そっと胸に抱いた。

このページにイラストを設定する