雪のちらつく九夜山の山道に自分の他に人影のないことを確かめ、風雲児 轟は裂帛の気合こめて叫ぶ。
「戦衣着装！」
　ろっこんを発動させて変身するのは、自作ヒーロー『ザ・ストレイト』。



　ヒーロー衣装の上に羽織るのは、防寒具として用意してきたダウンジャケット。
(吹雪いているらしいからな)
　テオドロスから送られてきたいつもながらの一方的で強引なテレパシーに得た情報を頼りに、『ザ・ストレイト』たる轟は九夜山山頂近くの森を目指す。
　雪の積もり始めた山道に入って幾許も進まぬうち、不意に風が押し寄せた。
　木々の梢も折れんばかりの雪風に全身を叩かれ、轟は両足を踏ん張る。吹き飛ばされそうなところをなんとか堪え、木の陰に身を寄せる。
　視界も呼吸も奪う凍てつく風の強さにマスクの内の瞳を顰めつつ、防寒着のポケットから取り出した赤いリボンを木の枝にきつく結わえ付ける。
(この先に、居る)
　吹雪の央を目指せば、寝子島の子どもたちの平和を乱す悪者たちの巣に辿り着けると信じ、轟は全身に力をこめる。行く手を阻む雪を睨み、膝までも埋める雪に踏み込もうとして、
「な、に……？」
　雪の中に佇む、ミニスカサンタを見た。
　雪交じりの風に長い三つ編みの黒髪とスカートの裾が際どく翻る。薄い筋肉を纏わせながらも柔らかそうな足を包むは、厚手のストッキングにブーツ。白いファーのついた袖から覗く小さな手を包むは、何かしら仕掛けのありそうな黒いグローブ。吹雪にも関わらずグローブの手には光放つスマートフォン。
　ミニスカサンタの細い腰に巻かれたやたらに可愛らしいベルトにねじ込まれたコンバットナイフを見つけ、轟はマスクの奥の唇を引き結ぶも、
「……常闇？」
　スマホの放つ光に照らし出された物騒なミニスカサンタの正体を見て取り、同級生の名を口にする。
「……ん」
　常闇 月はスマホのGPS機能アプリを覗き込んでいた漆黒の瞳を上げる。夜と吹雪の帳の向こうに『ザ・ストレイト』の姿を見つけ、
「圏外です」
　短く言いつつ、役に立たないスマホをサンタ衣装のポケットにねじ込んだ。
「お前もテオから聞いたのか？」
　雪を掻き分けるようにして近づいてきた轟に問われ、月は無言で頷く。
　旧市街でのアルバイトが終わるなり頭に響いたテオドロス・バルツァの声は、九夜山に出現した『黒い森』と『黒サンタ』に子どもたちが浚われたと言うものだった。浚われた子どもたちのうちに友人の名を聞き、月は取るものもとりあえず九夜山へと急いだ。
　吹雪の中に入って、もしやスマートフォンアプリが使えまいかと試すも、画面が示すは友人の居場所ではなく、圏外マーク。
　傍らに立つ轟を見遣り、どうしたものかと壁のように視界を塞ぐ吹雪の森へと視線を投げる。
　暗闇と吹雪に目を凝らすうち、ふと風が緩んだ。雪の勢いが弱まった。
　その僅かの間隙に、月は森の先に揺れる小さな光を見る。
「……此方です」
　言葉少なに言い放ち、月は雪の上にあるとは思えぬ猫じみた身軽さで歩き始めた。後を追うて来る轟の足の強さを確かめ、勢い取り戻した風に舞い上がるようにして木の梢を掴む。逆上がりの要領で枝に登り、雪風の強ささえ利用して次の枝へと飛び移る。
「……あった」
　忍者のように枝から枝へと飛び移ったその先、見つけたのは梢に結わえ付けられた使い捨てのペンライト。雪に閉ざされた森を梢にあって見渡せば、一定の距離毎にともすれば雪に見落としそうな頼りない小さな光が揺れている。
　点々と獣道を登る光を視線で辿った先、月は雪に暗く滲む人影を見た。樹の影に身を潜めているらしい人影のその向こう、山羊の角持つ影も見た気がして、
「先に行きます」
　樹の下から見上げて来る轟にペンライトの光を辿るように告げて後、月は雪の積もる枝を蹴り、雪風に飛んだ。枝を掴み、雪の上に降る。雪豹のように駆け、樹上に見た人影のもと、風のように現れる。
　風が吹く。降る雪が礫じみた凶暴さを得る。新雪が舞い上がり、数歩先さえ真白に染め上げる。
「……何故ここに」
　雪を纏って現れた月に樹の幹に押し付けられる勢いで問われ、日暮 ねむるは防寒着代わりのフードとゴーグルとマスクに覆われた顔を小さく傾げた。



「それは僕の台詞でもあるけど……」
　九夜山の雰囲気がいつもと明らかに違うことに不審を抱き、嫌な予感を押し留められぬままに山へと入り、異様な吹雪に呑まれた。
　気紛れな風が止まぬ限り視界を奪われる吹雪に閉口しつつ山道を辿っていて、今までに見たことのない形状の足跡を見つけた。何がなんだかさっぱり理解し得ぬまま、それでも足跡の主を確かめようと使い捨てペンライトの道標をつけながら、ともすれば雪に消えそうになる足跡を追っていて、
「……なんとなく状況が掴めてきたよ」
　武装した月と、その後に続いて現れた轟の姿に、ねむるはこの状況にあってまだ尚も眠たげな黒の瞳を細める。
「また神魂が絡んでるみたいだね」
　雪の森の奥から、山羊の雄叫びが響き渡る。断末魔にも似たその声に、三人は顔を見合わせた。言葉もなく頷き合い、声が響いた方へ向かおうとした途端、
「っ、と」
　ねむるが立ち止まる。雪の帳の向こうに蠢く山羊頭の影を指し示す。仲間の悲鳴を聞きつけ助けに向かおうとしているのか、山羊男はしきりに耳を澄ませるように捩れた角の頭を振りたてている。獣毛に覆われた裸の胸は、人ならぬ厳つい筋肉に鎧われて見えた。
「……よし」
　轟が逃げも隠れもせず、山羊男を睨み据えて踏み出す。
「お前でウォーミングアップしてやる！」
「あ、ちょっ……」
　闘気を剥き出しにして山羊男へと突っ込む『ザ・ストレイト』に伸ばしかけた手を、ねむるは下ろす。
(冷静に考えろ)
　あんな化け物と真っ向からやり合えるほど、
(僕は強くない)
　かといって放置すれば人に危害を加える。
　真っすぐに突っ込んでいった轟のろっこん込みの全力の腕力をそのごつい両腕に受け止め、山羊男は草食動物の歯をガチガチと鳴らして凶暴に吼える。
「一かばちか、やってみるしかないか……」
「戦闘は回避したかったですが、仕方ありません」
　コンバットナイフを取り出す月を押しとどめ、樹上に身を隠すよう指示して、ねむるは山羊男との位置と距離を測りつつ防寒着を脱ぐ。服を地面に置き、固い雪玉を作る。
「……ッ！」
　轟と山羊男が離れる瞬間を狙い、雪玉を投げつける。
　狙いすました雪玉は、ものの見事に山羊男の頭にぶつかった。子どもの悪戯のような一撃を受け、山羊男が怒り狂う。轟との一戦を投げやり、こちらに向けて駆けて来る山羊男を確かめながら、ねむるは月の手助けも受けて大急ぎで木の上に登る。
　囮にした防寒着に山羊男が飛びかかる。
　山羊男が獲物を捕えて嗤う瞬間を狙い、ねむるは音もなくその背に飛び降りた。不意に頭上から降った少年の重みに山羊男がたたらを踏む。ねむるは山羊男の額に手を回す。
(……眠れ)
　羽交い締めにするようなかたちで意識を集中させ、ろっこんを発動させるうち、山羊男の動きが鈍くなった。がくりと膝をつき、雪に突っ伏して眠り込む山羊男の背から飛び降り、ねむるは寒さに粟立つ腕を擦る。下敷きにされた防寒着を引き出そうとして、ふと思いついた。山羊男の身体に防寒着を擦りつける。
(この雪の中で獲物を探すなら、嗅覚が一番頼りだ)
　こうしておけば、人間の臭いは少しなりと誤魔化せるはず。
　そうしているうち、倒れ伏した山羊男の姿が黒い霧のように解けて消えた。
「……意識が途切れれば消えるんですね」
「倒して黒サンタの居場所へ案内させるつもりだったんだが」
　冷静に呟く月と、悔しげな『ザ・ストレイト』に、ねむるは雪の積もった地面を指し示す。山羊男の足跡は消えずに残っている。
　それに、と指し示す先、渦巻く雪煙さえ裂いて、夜の森を人工の光が過る。光は惑う様子を見せず、山の一点を目指そうとしている。
「僕たちの他にも、救出に向かう人達がいるみたいだね」