「落神神社か……」
　ろっこんの力で自作ヒーロー『ザ・ストレイト』の姿となり、風雲児 轟は暗雲蠢く九夜山を見上げる。
　噂を、聞いた。
（人々の願望から生まれた根拠のないものかもしれない）
　この世界に終焉をもたらすナニカが大挙して現れてその後より、生き残った人々の間で囁かれだした、落神神社にまつわる噂。
　――落神神社のお社の奥には『別の世界』への入り口がある
　――神社に向かった人間は誰一人として生きて帰っていない
　雷光が閃く。雷鳴が轟く。稲妻に撃たれた九夜山の木々に赤い炎が猛る。山肌を舐めるように這う毒々しい黒鉛色した霧が炎に赤く照らされる。
　神社に向かった人々は無事に神社に辿りつき、別世界へ逃げ延びたのか。それとも半ばで斃れたのか。
（……どちらにしろ確かめる必要はある）
　行く先が地獄であるのは重々承知の上で、けれど轟は常日頃から鍛え上げ続けてきた体に力をこめる。どんな危険が待っていようと、
（そこに救いがあるかもしれないなら引くわけにはいかねえ！）
　仮面に隠した黒い瞳に、破壊されつくした故郷を映す。星ヶ丘教会に、寝子高校に、岬の洞窟に。化け物たちに蹂躙されるこの町には、まだまだ生き残った人々がいる。この終焉の世界で、それでも生き残ろうと頑張っている人々がいる。
（待っててくれよ）
　その人々に向け、轟は誓う。
（必ず希望を見つけてくるからな！）
「ほあッ！？」



　奇声に近い声を上げ、コンビニ食糧を詰め込んだ赤猫リュックを背に、赤柄の斧を提げた後木 真央と相棒の三毛猫がおーが駆けて来る。
「風……『ザ・ストレイト』！」
　真央に続き、八神 修がどこかで手に入れたらしい拳銃を片手に笑う。
「無事だったのだ」
「当然だろ」



　顔を知るふたりと行き会い、轟は力強く笑ってみせる。
「シュー君、真央ちゃん！　轟さん！　きゃー！」
　轟の声に重ねて、半壊した商店街の店舗の影から歓声があがった。全力疾走で道を渡る黒髪の女子高生を見つけ、真央が両手を広げる。
「美咲紀ちゃん！」
「真央ちゃーん！」
　椿 美咲紀を全身で受け止め、真央は顔中で笑う。美咲紀と抱き合ったまま、彼女に続いて現れた壮年男性にも笑いかける。
「紀伸ちゃんも！」
「後木さん」
　常と変わらぬ紳士然とした笑み浮かべる久須部 紀伸の後にももう一人、憮然とした顔の痩せた少年。
「真央ちゃんは後木真央と言うのだ、お名前教えて欲しいのだ？」
　朗らかに人懐っこく話しかけられ、津田 亮悟は思わず後ずさる。顔顰めつつも何とか名乗る。
「亮悟ちゃん」
　真央に手を取られようとして更に後ずさる亮悟を何となく背に庇い、紀伸は凄惨な終末を目にして尚明るく生きようとする少年少女たちを見つめる。
「……ま、噂だがな。けど可能性は高い」
「もし何もないのなら、……いや、そんな事は言いっこなしだな」
　亜麻色の髪と怜悧な瞳持つ少年と特撮ヒーロー番組の主人公のような格好をした少年とが話す言葉に耳を傾けていれば、どうやら二人共に、自分達と行き先を同じくするらしい。
　『別世界』に繋がる入り口があるという、落神神社。
「出発の前に少し休もう」
　今すぐにでも、と九夜山を見つめる轟を制し、修は麓に破壊されずに残った民家を示す。
「腹が減っては、なのだ！」
　真央が頷き、赤猫リュックを揺すり上げる。この死地にあって、希望失わぬ瞳のみんなが眩しかった。
　住民の絶えた民家に身を潜め、ささやかな食事を摂る。
「約束してくれ」
　轟が皆を見渡す。
「この先、何があっても立ち止まらず進もう。誰か一人でもいい、神社の先に何があるか確かめるんだ」
　そこに希望があれば、と拳を固める。
「なんとしてでも生きて帰って島の皆を導く役目を担うんだ！」
「希望なら人々を導こう。絶望ならあちらの世界を切り離そう」
　熱く語る轟のあとを継ぎ、修が静かに頷く。
「世界の繋がりを断てば、敵は追加で現れなくなるから反撃もしやすくなる」
　皆に語り掛けながら、修は神社から生きて帰った後のことをも見据える。これが終わったらまず教会の人々に情報を伝えよう。そうして本土に渡り、ナニカに対抗出来る組織が、例えば警察や自衛隊組織が生きているか、確かめよう。
（もし、本土の組織さえ壊滅していれば）
　終焉もたらすものに抗う組織をこの手で作り上げよう。そうすれば、
「俺達人類に勝ち目もでてくるんだ」
　強い言葉で皆を鼓舞する。
「たとえ待つのが絶望でも、俺達が希望に変えよう」
　修の抱く決意を粉々に砕こうとするかのように雷鳴が轟く。空に舞う翼持つ化物たちが凄まじい咆哮をあげる。
　辛うじて残る民家の窓硝子や壁さえ割れそうなほど震わせる大音響に、美咲紀が耳を塞ぐ。真央がどこか虚ろな瞳で窓の外の空を仰ぐ。
（……向こう側）
　思うのは、神社にあるという『別世界』の入り口の、その向こう側。轟も修も、その向こう側で見つけたことをこちらへ持ち帰ろうとしている。
　ここに至るまでに、星ヶ丘教会に立てこもる人々の噂を聞いた。『向こう側』に希望があれば、彼らをきっと助けられる。彼らだけでなく、大橋を越えた先の本土にも。
（おじぃ、叔父貴）
　ここと同じ状況にあるだろう本土に居る祖父や叔父を思う。
　この終焉の空の下で、あの二人もきっと、ここにいる皆と同じに希望失わぬ目をしている。
「真央？」
「んん、大丈夫なのだ聞いてたのだ」
　修に呼びかけられ、真央は空に向けていた目を地に戻す。
　尾をひく轟音が静まるのを待って、修はもう一度、目的地を同じくする仲間を静かに見回す。
　麓から見ただけでも分かる。雷嵐が暴れ、化物が跳梁跋扈し、おそらくは毒の霧さえ漂う今の九夜山は、正に死地。生きて帰ることすら、神社に辿り着くことすら危うい。成功の確率は低い。
「此処で待っててもいいんだぞ」
「俺が行かずに誰が行く」
　轟が笑み含んだ声で言う。
「皆でガンバろー！」
　再会したときの明るさそのままに、美咲紀が空へ拳を突き上げる。だって三人よれば文殊の知恵、今は三人どころか六人もいる。
（奇跡だって起こせちゃいますとも）
　いやむしろ、とどこまでも前向きに考える。
（私達が奇跡なのです！）
　前向きにいいことが起きると考えた方が良いことが起きるはず。占い好きな美咲紀はそう考える。だから、
「神社には希望があります。そこから続く別世界はきっと生命にあふれた所ですとも！」
　美咲紀は心底から請け負う。
「足手まといにならないよう努力します」
　雷光を楕円眼鏡に反射させ、紀伸は頷く。身を守る装備に出来ぬものかと民家の台所から見つけ出したゴム手袋を上着のポケットに仕舞う。皆から離れた部屋の片隅、不貞腐れた顔でうずくまる亮悟に靴箱で見つけた子供用の長靴を履かせようとして、
「いらねぇ」
　無愛想に断られる。
「いざという時は見捨ててくださいね、覚悟は出来ています」
「紀伸ちゃん……」
　さらりと言ってのける動じない大人の背中を見やり、真央は修の横顔に視線を移す。責任感の強い親友は、皆を死地へと駆り立ててしまうことを迷っているのかもしれない。
（でも、修ちゃん）
　ただ逃げようとすれば死ぬ気がした。
　立て籠もっていても死ぬだけな気がした。
　ならば、
（修ちゃんのその視線の先を見たい）
　終焉の世界にあって、親友が思い描く未来を共に見たいと、真央は願う。だから迷わない。
「真央ちゃんももちろん行くのだ！」
　元気いっぱい両手を挙げて立ち上がる。皆と一緒に未来が見たかった。皆と一緒に行きたかった。
　ただ、生き延びられる気は、
（やっぱりあんまりしないけど）
「……皆、有難う」
　生真面目に頭を下げる修を見つめ、真央は心に誓う。
（手を失おうが足を失おうが神社の先まで道を探ろう）
　美咲紀には皆を癒すろっこんが、修には策を練る頭脳が、轟には道を切り開く力がある。紀伸も亮悟も、逆境に怖じぬ強い眼差しを持っている。ならば己は、相棒のがおーと共に誰よりも前に立とう。危険を察知する斥候の役目を務めよう。
（瀕死でも神社にある何かまでは飛び込もう）
　どうあってもそこまでは、
（死ねない）