ミッドナイト・フリーキー・ショウ！　～ユメギワ空想楽団｜リアクション

ミッドナイト・フリーキー・ショウ！　～ユメギワ空想楽団

【庇】

　矢萩咲にとって、旧市街は良くも悪くも思い出深く、それに忌避すべき理由を擁する街です。
（……ああ。雨雲が……）
　実家の和菓子店のお得意様へ、届け物のお使いを済ませた帰り道。咲は黒々と立ち込める雲を見上げて、不安に眉を寄せました。
　この街の雨は、いつだって咲の胸をざわつかせ、揺さぶります……黒雲を気にしながら、咲は足早に先を急ぎます。
　３年も前には、ここを訪れることすらままなりませんでした。咲の胸の奥底、刻まれた傷は深く、深く、住み慣れたこの街から離れて、移り住むことを余儀なくされたほどです。
　今でこそ少しずつ癒えつつも、傷は未だじくじくと生々しく疼き、咲を苛みます。その傷を再びえぐり、悪戯に咲のトラウマを引きずり出そうとするのは、いつだって……この街に降る、雨。
（っ、ここは……あの時のバス停……）
　破壊の痕はすっかり取り繕われ、何事もないように佇む、そのバス停の前へと通りがかった時。咲は、足を止めるべきでは無かったのでしょう。
　あの時には、予期せぬ出会いに救われました。ピンク色の波打つ長い髪の、彼女に。たとえ一時の気まぐれだとしても、あの笑顔に、握った手のぬくもりに、咲がいくらか救われたのは確かです。
　けれど今は、ぽつんと立ち尽くす、咲がひとりきり。
　そして……さああ。さああと。
「……あ…………ああ、うあ……っ、あ……！」
　雨が。
　瞬く間に黒髪を濡らし、服を濡らして肢体に絡みつき、
「…………ああ……いやだ……咲は、咲は……っ！」
　雨が。ずぶずぶと、心にまでも。
　まぶたの裏を閃く稲光、照らされる見開いた父の瞳。固い床へ力なく倒れ伏す母の、冷たい肌。無軌道の末の初恋。男の怯えた顔。白い病室、気が狂いそうなほどに白い、白い、そして鏡の中、落ちくぼんだ瞳、ほつれた髪とかさかさに乾いた唇、真っ赤に泣き濡れた目、その手に抱くことの無かったぬくもり、聞くことのなかった、咲の、咲自身の、
「あ、や……あッ、やあああああああああッ！！」
　足元が揺らぎ、きつく自らの肩を抱いて、咲の慟哭は喉を破るかのように迸ります。
　フラッシュバックする過去は、いつだってこの街に降る雨を引き金に、何度も、何度でも、咲を打ちのめしました。そのたび咲は抗うものの、胸の奥に負った傷の深さは、彼女自身にとて想像を絶するのです。
「……やだ。いやだ…………咲は、乗り越えて……耐えて、今度こそ…………なのに、ああ。ああああ」
　その試みは常に、上手くはいきませんでした。
　今日もまた、雨が。咲を穿ち、弄び。
　かき乱して。

♪『nears』

サカニャクション / 演奏　ユメギワ空想楽団

　……その場における音楽は、言わば異質でした。けれどその響きが、咲の迷う心をにわかに引き戻し、コンクリートへ膝をつくことに抗う力を与えてくれたのは、確かです。
　曲調からは、どこか寂寥感。咲にとっては優しさをはらむ、ささやかながらに雨を遮る、薄布のようにも思えたかもしれません。
「……っ、まだ、咲は……ああ、咲は……！」
　雨とも涙ともつかない水滴は未だ、絡みつくように咲を濡らしています……けれど、よろけ、壁に肩をひどくぶつけようとも。寄りかかり、みっともなく縋りつこうとも。
　道の両脇にずらりと並び連なる、白いスーツの楽団員たち。列を成してそれぞれに楽器を弾き鳴らしながらに、彼らは咲へ、手を差し伸べてくれています。
　ちらり、その向こうに、かすかに見えた気がしました。ピンク色の。揺れる、波打つ長い髪の。
「…………ッ！」
　がくがくと震えてはいても、どうにか足は動きました。根拠のない希望でも、この道の向こうへたどりつくための微力を振り絞るくらいには、役立ってくれそうです。
　いつかこの道の向こうへ、たどりついたなら。
「……今度こそ……咲は！」
　彼女は、歩み始めました。