寝子島キャンバス｜リアクション

寝子島キャンバス

　綾辻綾花は襟や袖口に毛皮をあしらった茶系のコートを軽やかに着こなしていた。外側のポケットには猫の頭部を象ったペンが顔を出している。合わせて入れた猫メモの先端は少し見えていた。反対側にはクレヨンの箱が突き出ていて出番を待ち侘びている。
　寝子島シーサイドタウン駅の方向に歩いていると、サバトラ柄の猫が横切った。綾花は視線を低くして、可愛いですね、と優しく語り掛ける。にゃーん、と鳴いた猫は立ち止まって振り返る。手招きをすると、その動きに合わせて顔が上下した。
「こっちですよ」
　猫は綾花の方にゆっくりと歩み寄る。猫のマークの付いた靴の匂いを嗅ぐ。にゃーん、と鳴いてふくらはぎの辺りに頬を押し付けてきた。
　綾花は両足を閉じて横向きにしゃがんだ。猫の頭を撫でると目を細めて喉を鳴らした。
「気持ちいいのですね」
　猫は撫でる手にしがみ付く。綾花は抱え上げて胸に抱いた。
「温かいです」
　そうでした、と猫を下に下ろして猫メモに特徴を書き込む。何してるの、と猫は甘えた声で何度も鳴いた。
「これをあげましょう」
　コートのポケットに入れていた煮干しを摘まんで与えた。猫はスナック菓子を食べるようにカリカリと音を立てて食べる。
　一頻り遊んだあと、綾花は携帯電話に猫の姿を収めると小さく手を振って別れた。

　寝子島シーサイドタウン駅には季節外れの水色のアジサイが咲いていた。ピンクの木は桜に見える。華やかなクレヨンの落書きを目にしつつ、綾花は駅員に許可を貰った。
　人通りを意識して描くものを決める。
「猫にしましょう」
　綾花は猫の絵を壁に描いた。擬人化したものでドレスやタキシードを着て軽やかに踊る。
「テーマに合わせて」
　描いた服装にサイケデリックな模様を入れていく。生徒を表した制服の猫を次々と描き、パッチワークのような色合いの文字で『寝子祭　ダンシング人類愛！～サイケデリックを乗り越えて～』と書き添えた。
　通りを歩いていた人々が歩きながら目を向ける。
「もう、そんな季節か」
　サラリーマン風の若い男性の呟きが背中越しに聞こえてきた。早速の成果に綾花は満足してサンマを咥えている猫を追加した。
「消える前に記念写真ですね」
　完成した絵を携帯電話で写した。次の駅を目指して綾花は改札を潜った。訪れた電車に乗り込むと窓から流れる景色を眺めた。建物の壁、民家の塀、電信柱に細々とした落書きがあった。携帯電話を構えるがシャッターを切る間がなかった。
「各駅に期待しましょう」
　電車は島の玄関口、寝子島駅に到着した。降りて目に付いたのは猫の落書きだった。白猫、黒猫、キジトラ柄の猫が壁の中を走り回っている。
「旧市街に猫が多いからでしょうか？」
　不思議に思いながらも綾花は携帯電話に収めていく。自作の猫の絵も忘れていない。陽気に踊る猫が新たに加わって一足早い寝子祭の開催となった。
　綾花はホームで電車を待った。凪の海に向き合って穏やかな表情で眺める。電車の走行音が聞こえてきた。
「小さな旅行みたいです」
　振り返ると電車がホームに滑り込んできた。綾花は乗り込むと終着駅へと向かった。
　窓から見える景色と落書きを楽しんで星ヶ丘駅に降り立つ。
　一目でわかる。落書きの質が変わった。洋風の花が多く見られる。高級感を漂わせる大きな黒塗りの車が描かれていた。尖塔が林立する大きな建物は城のようだった。その中に猫の絵もあった。ペルシャ猫の毛は王様の髭のように威厳を放っている。
「私も少しだけ……」
　壁の隅の方に座った猫を描いた。横に看板を付けて『寝子祭　間もなく開催』と控え目に描いた。
　綾花はホームに立った。
「もう一度、シーサイドタウンで描こうかな」
　線路の向こうに目をやった。