＜鈴島海賊の秘宝III＞海へ｜リアクション

＜鈴島海賊の秘宝III＞海へ

●海蛇号の最後

　海が炎で赤く染まる。
　舵も取れず、船員たちを失った海蛇号は、ただ海に揺蕩うことしかできない。
　前方から、まるで誘蛾灯に惹かれる蛾のように、幾本もの太い触手が近づいてくる。
　
　サキリ・デイジーカッターの伝令は、舵を握る八神修や、その傍で指揮するコウの元にも伝わっていた。
　作戦パープル。海蛇号から離れろ。
「言われるまでもない」
　修は力いっぱい舵を切る。
「動けよ紅梟号、俺の思うがままに！」

　紅梟号は急速に海蛇号から離れた。
　吸盤が焦げ付くのも物ともせず、太い触手が海蛇号に絡みつく。一本が舳先に、一本マストに。
　そこからはもう、ぐいぐいと締め付けるように。

　海蛇号から離れ行く紅梟号の甲板では、皆が茫然とその様を見つめていた。
　助けを呼びに来て、帰りそびれた鬼崎未月が泣いている。海に落ち行く円の姿が忘れられないのだ。
　弘明寺能美子が駆けてくる。
「ブリジットさん！　小山内さん！」
　刀が悲痛な表情でうつむいている。
「――円ちゃん！」
　円の姿は甲板にない。
「いやっ、そんなのいやよ！」
　能美子はくずおれた。
　そのとき。
「――ボクは無事だよ」
　声がした。円の声が。
　顔をあげる。
　――円がいた。

　逆巻天野と伊藤佳奈に支えられ、ずぶ濡れの円はへへ、と笑った。
「ああ……！」
　嘆息以外の言葉もなく、能美子は円に抱きついた。未月はくしゃくしゃの笑顔でまた泣いている。
「いろんな偶然と必然が重なったんだ」
　円は言った。
　修が貸してくれた救命胴衣があったこと。
　落水に気づいた佳奈が＜ロロレンロ＞ですぐに円の位置を見つけだしてくれたこと。
　天野が落水に備えておいた浮き輪をすぐに投げ入れてくれたこと。
　そしておそらく――円のろっこん＜ブレイブハート＞で運が良くなっていたことも関係していたのだろう。
「だからボクは大丈夫。でも、……海ちゃんが……」

　海の指が動いた。
　ぴくりと、ほんのわずかに。
「小山内！？」
　刀がその手を握る。
　海が薄く目を開いた。
　ゆっくりと胸元に手を当てる。

　――何かに使えるかもしれないし拳銃一つ借りて行こう――

　戦いの前、船倉で、そんなことをたしかに思った。拳銃は、雨に濡れないようにと、外に出る時に胸元に入れたのだ。その拳銃が、海の命を救ってくれた。海は衝撃で気絶していただけだったのだ。

「良かった、ほんとうに良かったよ……！」
　円は涙と笑顔が混じり合った顔でそういうと能美子の腕の中に倒れ込み、意識を失った。
　能美子は円の冷たい頬をそっと撫でた。
「……疲れたのね。ゆっくり休んで」

　ブリジット、海、円の三人は駆け付けた音海なぎさの指示で医務室に運ばれた。
　紅梟号が十分に海蛇号から離れると、修が甲板に出てきた。
　視界に、クラーケンに絡みつかれている海蛇号を捉える。
「漆黒の海蛇号――折角だから俺が引導を渡してやるよ」
　精神を集中し息を止め、炎に照らされる漆黒の船を見つめ＜分解＞する。
　海蛇号がばらばらに崩れていく。ただの木の板に戻って行く。
　触手が、分解された海蛇号を、まるで赤子を抱くかのように抱え込み、呑み込んでいく。
　波を白く泡立てながら。

「――死者よ、海に還れ」

　修は静かに黙とうした。
　海の上にはただ、ばらばらになった板切れだけが漂っていた。