秋桜、ふたりぼっち｜リアクション

秋桜、ふたりぼっち

　あくびが出るぜ、というやつですね。
「ふぁー」
　新江天懸は大あくびを漏らしました。隠す気はそもそもありません。退屈なものは退屈です。
「ごめん、退屈だった？」
　ギャル丸出しみたいな格好のくせに、やたらとおどおどしながら『ひっかけた女』が言いました。
　そう、天懸にとっては『ひっかけた女』です。それ以上でも以下でもない。名前も何かあったはずですが、平凡以下のつまらない相手だったので忘れてしまいました。
　本日天懸は、退屈で仕方がないからナンパをして、首尾良く女子高生をひっかけましたが、そのおかげでますます退屈するはめになったのです。
　

「こういうメルヘンな場所、苦手なもんでよ」
　その『ひっかけた女』のたっての願いで、天懸はこの秋桜畑に引っ張ってこられたというわけでです。こんなことなら自分のテリトリーである盛り場につれていけばよかった、と悔いる天懸だったりします。
　一面に咲く秋桜は、心和む光景といえましょう。けれども彼にとってここは、退屈で寒くてひたすらに眠い場所だったりします。妙に健康的な雰囲気なので得意の、安っぽく甘ったるい言葉をささやくのも難しい。（口説きというのはムードが大切ですから）
　――あーどうしよっかな。
　女をこの場所に放置して帰ろうか、などと天懸は考えたりもします。
　あるいはあと一時間ほど我慢して、己のホームグラウンドに女のほうをひっぱりこむか……。
　女は頑張ってギャルっぽい格好をしているだけで、どうやら最近デビューしたてのシロートのようです。高校デビューだかなんだかというやつでしょう。歳上のようですが経験値ならこちらが十倍は上、もう少しだけこの空間に堪えて、日が暮れてからオトナの流儀というやつを、みっちりと教え込むほうがまあ、面白いかもしれません。
　――ま、そうすっか。
　心を決めて天懸が『ひっかけた女』に呼びかけようとしたとき、女の姿は消えていました。
「あ？　おいどこにいったんだよ？」
　いえ、『ひっかけた女』だけに限りません。
　たくさんいた物見客の一切合切が、消え失せているではありませんか。
　そればかりか周囲すべてが、広い広い秋桜畑へと化しています。
　このとき背後に人の気配を感じ、天懸はイタチのように素早く振り返りました。
「……！」
　同時に、貼り付けていたような安っぽい笑みも彼の顔から消え失せていました。
　なぜ、と巨大な疑問符が飛び出します。
　それも、その内側から黒い液体がじくじくとしみ出してくるような、暗い疑問符です。
「……は？」
　天懸は思わず後じさっていました。
「……なんの冗談、だよ……！」
　背筋に氷を詰められたよう。
　そこに立っていたのは、天懸にとって、『恐怖』とほぼ同意語となる女性でした。
　金髪の女性です。彼より少し、歳上でしょうか。
　天懸の額に、どっと汗が噴き出しました。膝がわななきます。ナイフを抜いた男と相対しても、鎖を振り回す男たちに囲まれても、緊張するどころかニヤリと笑う天懸が、です。
　金髪の女性の口元が、ぱくっと三日月型に開きました。天懸にはそう見えました。
「……あ……う……」
　もはや天懸の頭には、どうやって逃げるかという考えしかありません。しかし身体のほうは言うことをきかず、彼は足をもつれさせ秋桜畑に尻餅をつきました。
　命が押しつぶされる感触がありました。
　――俺の下で死んでゆく花。……あいつは、目の前のあの女は花を殺した俺に怒るのか？
　違います。
　そのことを天懸は、知りすぎるほど知っています。
　彼女は興味を示しません。花はもちろん、天懸にも。
　いいえ、鳥以外の人間にも、決して興味を示さない！
　だから……おそろしい。
　天懸は金髪の女を見上げました。古代、皆既日食を目の当たりにした人類は、きっと今の天懸のような表情だったことでしょう。
「俺は……お前なんてもう、怖くないんだからな！」
　もうほとんど悲鳴でした。天懸は身をよじって叫んだのです。
　夜中に目覚めた幼子が、周囲に父母の姿を見つけられなかったときのように。
　このとき同時に、彼の意識は消し飛んでいました。

　目が覚めたとき、天懸は例の『ひっかけた女』に抱き起こされている自分に気がついたのです。
　何もかも元に戻っていました。
　もちろん、あの金髪の女の姿もありません。
「ちっ……」
　立ち上がって女を押しのけると、天懸はふらつく頭を抱えるようにしてその場を去りました。
　気に入らない場所です。もう二度と、来たくない。

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秋桜、ふたりぼっち

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