戻ってきた記憶｜リアクション

戻ってきた記憶

　ロベルト・エメリヤノフは開いた鞄に部屋の中の物を手慣れた様子で入れていく。考え無しのようでいて、鞄の角や平たい部分には相応の物を収めていった。
　やや隙間が空いた状態で手を止めた。
「渡り歩く僕だから、大して物はないんだよね」
　ぼんやりとした目で周囲を眺める。見えるところに忘れ物はなかった。
「クローゼットの服は入れたし、あとは机の中かな」
　ロベルトは借りていた机の引き出しを開けた。その勢いで滴の形をしたピアスが転がり出た。
「ん、これは？」
　指でピアスを摘まみ、顔の前にぶら下げる。ゆらゆらと揺れる物体を目で見ながら、ああ、と声を出した。
「これは貰い物だ。確かくれたのは同級生で、普通科の……あー」
　ふいに表情が曇る。良い思い出ではないのかもしれない。
「こんな記憶に限って、覚えているもんなんだよなー」
　ロベルトは否応なく、一年前の記憶に飲み込まれていった。

　最後の授業が終わると教室内は一気に騒がしくなった。生徒達は帰りに立ち寄る店で大いに盛り上がる。部活へと駆け出す者も少なくない。
　その中、ロベルトは鞄を持って一人で教室を出た。廊下を歩いていると横から声を掛けられた。
「時間、あるかな」
　ロベルトは目をやる。窓にもたれていた女生徒が近づいてきて前に立った。
「いいけど、なに？」
「ここだとちょっとね。屋上に行こうか」
　女生徒は踵を返して歩き始めた。ロベルトは考えるような表情で付いていく。二人の間に会話はなく、すんなりと目的地に到着した。
　北校舎の屋上には誰もいなかった。
「ここは南と違って人気ないねー」
　女生徒は嬉しそうな声で駆け出す。
「もう、いいだろう。話してくれないか」
「そうね、誰もいないことだし」
　振り返った女生徒は真顔に戻っていた。ロベルトの目を見て話し始めた。
「あなた、本当はアイツのことが好きなんでしょ」
「まさか、それはないよ。彼は綺麗な顔はしているけど男だし」
「隠さなくてもいいよ。黙っててあげるから」
　女生徒は目を合わせたまま、ゆっくりと近づいてきた。ロベルトは押し止めるように掌を見せた。
「本当だよ。彼に感じているのは友情だけだ。その感情は好意的なものだから、好きなのかもしれないけど、それは友人としての好きだから」
「なーんか、言い訳っぽく聞こえるんだけど」
「本当の話だから信じて貰うしかないよ」
「わかった、この話はここで終わりね」
　含みのある言い方にロベルトは困ったような顔で笑った。
「悪い話じゃないから安心して」
　女生徒はスカートのポケットから小さな箱を取り出した。包装紙の代わりに赤いリボンで結んである。
「誕生日、おめでとう」
「これを僕に？　ありがとう、開けてもいいかな」
「どうぞ」
　リボンを解いて指で蓋を押し上げると、中には一対のピアスが入っていた。一目で女物とわかるデザインであった。
「これって女の子向けだよね？」
「アイツはそんなピアスが好きだったよ。元カノの情報だから信用してもいいわよ」
　全て言い尽くしたのか。女生徒は晴れやかな顔で屋上を後にした。

　ロベルトは滴の形をしたピアスをぼんやりと眺める。
「貰ったのはいいけど、一回も付けたことがないんだよな……」
　試しに片方の耳に付けてみた。鞄に収めた手鏡に横顔を映す。
「うーん、似合わないな。でも、彼は好きだったんだよね」
　ロベルトはピアスを外した。迷うような手付きで鞄の中に収めた。
「……彼は今頃、何をしているのかな」
　沈んだ目で呟く。ピアスは涙の形にも似ていた。
　ロベルトの心に響く、一滴となった。