戻ってきた記憶｜リアクション

戻ってきた記憶

　配達された箱が玄関に置かれた。夜乃理沙は忌まわしい物を見るような目で身体を震わせた。差出人の欄に書かれた名前は叔父で唯一の血縁であった。
　理沙の赤いサイドテールが拒絶するかのように振られる。
「今更、どうして……」
　赤い目が不自然に揺れ、心の動揺まで見て取れる。大人びた黒のチュニックの左胸に手を強く押し当てた。速まる鼓動を抑えるような姿で両膝を付いた。乱暴に貼り付けられたガムテープを剥がす。怖々とした手で中を覗くと懐かしい物が詰め込まれていた。
「僕の物だけど、なんでだよ」
　投げ込まれたような状態はゴミ箱の中と変わらない。底を漁るように手を入れた。古着を取り出すと、大切な思い出が見つかった。
「僕と両親の写真！？」
　唇は悔しそうに歪んだ。取り出した写真は縦に引き裂かれていた。震える手で中央を合わせる。久しぶりに三人の家族の笑顔が戻った。
「嫌だッ、僕は思い出したくない！　あんな辛い日々は、もう嫌なんだッ！」
　理沙は土下座するような格好で頭を抱え込んだ。冷たい雨に打たれた瀕死の動物のように全身を細かく震わせた。

　蛍光灯の一部が黒ずんで嫌な明滅を続けている。目の据わった初老の男が床に胡坐をかいて一升瓶からコップに酒を注ぐ。揺れる上体のせいで溢れた。赤黒い舌を出してコップの側面を舐め上げる。
　尖らした口を付けて中身を一気に飲み干した。部屋の隅の方から小さな泣き声が聞こえてくる。
「殴られたぐれぇで、いつまでも泣くな！」
　空になったコップを蹲る理沙に投げ付けた。直撃は免れ、近くの箪笥に当たって砕けた。
　理沙は声を殺して泣いた。その腕や足には青黒い痣が目立つ。手の甲には小さな火傷の痕まで見られた。
「やればできるじゃねぇか」
　男の手は近くに落ちていた一枚の写真を引き寄せた。幸せそうな顔をした家族が写っていた。
「こんな出来損ないを残してぇ、勝手に事故死しやがって」
　その声に理沙が頭を上げた。
「こんな写真、いらねぇだろ」
　男は写真を真ん中から躊躇なく引き裂いた。下卑た嗤いで宙へと放り投げる。目の当たりにした理沙は下唇を噛んで大粒の涙を零す。
「優しい叔父さんが、ヒヒッ、処分してやったんだ。感謝しろよ」
　理沙は泣き声を上げなかった。噛んだ部分から血が滲む。血の涙となって床を濡らした。

　ある晴れた日、理沙は両親に連れられて動物園に訪れた。
　園内の大きな象に興奮した。猿山では餌のリンゴを夢中になって投げ入れた。動物と触れ合うことが出来るコーナーでは大いにはしゃいだ。逃げる山羊を追い掛けて撫で回す。テンジクネズミを胸に抱えて、ママですよ、と言って両親を和ませた。
「そろそろ帰ろうか」
　そのような父親に膨れっ面を見せる。
「じゃあ、おいしい物を食べに行く？」
　母親の言葉で理沙は笑顔を取り戻し、フルーツパフェ、と元気な声を返した。
　引き返した三人はゲートを潜る。父親は思い出したかのようにポケットからデジカメを取り出した。近くにいた若い男性に頼んで記念の家族写真を撮って貰った。
　心に残る一枚となった。

　理沙は顔を上げた。落ちていた写真を床で合わせる。笑顔の両親に挟まれた幼い自分は跳び上がった姿で写っていた。
「離れ離れは、もう嫌だよね」
　箱の中に入っていたテープで綺麗に繋ぎ合わせた。理沙は両親の顔に目を留めて笑って見せた。
「僕は、大丈夫。だから安心して」
　一度、言葉を切った。理沙は笑顔を保ちながら言葉を続けた。
「今の僕には、友達も、施設のお祖父ちゃんも、おせっかい焼きもいるから。天国で安心して、見守って、いてね……」
　理沙は笑顔で泣いた。指で拭っても止まらない。
「あれ、おかしいな。なんで僕は泣いてるんだろ」
　笑いながら涙を流す。写真の中の両親は、そんな愛娘に変わらない笑顔を送り続けていた。