エイプリル・ウール｜リアクション

エイプリル・ウール

●夢で見た夢で見た夢から覚めた夢

　――キャットロード。に備え付けられたベンチ。の上空。
　そこに、寝子島を見下ろす一匹の蝶がいた。
（やっぱり、空から見ると結構、大きいですねー、寝子島って）
　ひらひらと舞っていた蝶はやがて、ビルの屋上に降り立って、その姿を変えた。
「よい、しょっと」
　蝶から人の姿になった屋敷野梢が、制服に付いた砂を掃いながら立ち上がる。辺りに人がいないのは確認していたが、改めて周囲を見た。出来ればろっこんの能力は知られたくない、と考えての行動だ。
「さてさて。じゃあ、この辺りからー……この辺までですかね」
　上空から見て羊が居そうな範囲を考え、頭の中の地図に線を引く。そして、制服のポケットから出した携帯で『ねこったー』を表示した。羊の情報を検索すると、数件だが現実味がありそうな情報が見つかる。写真が一緒になっているものもあり、情報の正確さは割と高そうに見える。
「とは言え、丸々と信じるわけにもいきませんけど、ね」
　明らかに冗談であるとわかる情報を除外して、再び頭の中に描いた地図を引っ張り出す。羊が居そうな範囲と手に入れた情報を重ねて、幾つか候補を挙げた。
　どうやら、星ヶ丘までは行っていないようだ。
「私も、学校がありますから……限界はありますけど」屋敷野は顔馴染みの飼育員の顔を思い浮かべた。「少しだけ、手伝いますね」
　ビルの屋上。その角に立ち、僅かに下を見る。車や人が人形よりも小さく見える高さで、屋敷野は目を閉じ――そして跳んだ。
　浮遊感。次いで、風を掴む感覚。
　瞼を持ち上げる感覚で視界を確保すると、屋敷野は既に蝶になっていた。
　これが彼女の能力、『胡蝶の夢』だ。
（まずはー……桜栄邸の辺りですか。っと……あれは）
　目的地へ向かおうと、羽を打ち始めた屋敷野の視界に、見知った人物が飛び込んだ。
　黒い髪を三つ編みで束ね、この暖かい日差しの中でも緑のコートを着込んでいる男。
（どーせまた良からぬことを考えてるんでしょー……あ、もしかして羊さんが逃げ出したのも？）
　眉――ではなく触覚を僅かに寄せて、屋敷野は思案した。あまり時間は掛けたくないが、全く無視できる存在でもない。
　考えた末、ひっそりと木陰に降り立って人の姿に戻った。
　自転車に跨りながら携帯を操作している男の背後に回り、息を吸う。
「おは！　よう！　ございます！」
　驚かせるつもりで精一杯、大きな声を出したが、その相手――草薙龍八は、無表情で振り向くだけだった。
「……何だ、何か用か？」草薙はそれだけ言うと、再び手元の携帯に視線を落とした。
「何だ、じゃないですよ！」屋敷野は頬を膨らませながら草薙に詰め寄った。「砂掛谷とエノコロ岬に羊がいたんですけど、また貴方のせいですよね！」
　頬を膨らませているのは、半分わざとだ。しかし、もう半分は少しだけ本気だった。
「何のことだ……しかし、何であんたが羊の居場所を知っている？」
　屋敷野が瞬時に口元を押さえ、慌てる。――もちろん、これは演技だった。
「……ふん、まぁいい。しかし『ねこったー』では、シーサイドタウン周辺での目撃情報が多いようだが」
　草薙は目を細めて屋敷野を見る。殺意とまではいかないものの、充分に敵意が潜んだ眼差しだった。
「ああ、あれまたデマでしたよ」屋敷野は横を向きながら、そう言った。「と言うか、何を企んでいるんですか」
「何を勘違いしているのか知らんが、どうでもいい……俺は俺に従うだけだ」
　草薙はそれだけ言い残して、自転車に乗ってその場を離れていった。
　遠くなっていく後姿を見ながら、屋敷野が小さく息を吐く。
（草薙君も羊を探してるみたいだったな……うーん。とにかく早く羊を見つけて、情報だけまともな人に流して……）
「学校に行かなきゃ」
　携帯に表示された時刻を気にしながら木陰に隠れて、彼女は再び蝶となった。