満月の夜に｜リアクション

満月の夜に

（……おや）
　展望台に設置された椅子に姿勢よく座したまま、晴海正毅は静かな視線を周囲に広げる。一通り楽しんだ、そんな顔をした人々の姿が目立ってきた。
（そろそろ潮時か……）
　展望台から去ろうと腰を上げ、もう一度だけ月を仰ぐ。
　たまにはこうして何もせず月を眺めるだけの夜というのも、
（やっぱり悪くはないね）
　月明かりよりも仄かな笑みを頬に残し、正毅は展望台を離れる。
「……よし」
　正毅とほとんど入れ替わりに、物の怪が跋扈する山中から人の居る展望台に戻った八神修は小さな息と共、笑みを零す。見たところ小島海美の姿は見えないが、後木真央の指示通りに山頂を目指したのならば、自分と同じように此方の世界に戻って来られている筈。
　それでも海美の姿を探し、周囲に注意深い眼差しを向けながら、修は展望台の椅子から月を眺める。寝子島神社で買って来た人形焼をおやつに、カーキーを足元に、月明かりの風景をカメラに閉じ込める。
（今日は色々あったな）
　未だにざわめく心身を制御しようとして視線を遠く延ばす。月明かりに暗く見える耳福池に小さく丸く見える月を見遣る。星々を圧倒して空に輝く月を仰ぐ。
（月が綺麗ですね……か）
　彼女は今、何をしているだろう。
　愛しい少女を思えば、心は穏かに凪いだ。
（今日の美しい月を、君も見ていると良いのだけれど……）
　カメラのファインダーに月を捉える。
　月の光に照らされる人々の姿を写す。
　ささやかな月の宴を楽しむ人々、月明かりに佇む恋人達、ただ一人で月を見上げる少年。
　計都の友人である柳司を避け、人の集まる展望台から離れ、計都の裏人格であるラゴは一人、月を眺める。
　満ちた、月。
　満月か新月の夜に計都が鏡を見なければ、『ラゴ』は表には出てこられない。
（オレは、影だ）
　影である己は計都の身に起こる内外の出来事も把握しているが、計都は己のことを認識してはいない。
（オレは、影だ）
　ラゴは繰り返す。己に言い聞かせる。影である己は、この体の主である計都と一緒に月を眺めることは出来ない。話をしたりすることは出来ない。それは絶対に叶わない。
（なら、）
　影である己に出来る事は限られている。
　大切な存在である計都を何としても守る事。それだけ。
（なぁ、計都）
　人格を交替している今は、身の内で深い眠りに就いている計都に、声が届かないと知っていてそっと語り掛ける。
（オレは、お前を守ることができるか？）
　守りたかった。
　心優しい己の宿り主が、少しでも泣かずに済むように。
　願いを込めるように、誓うように、静かに月を見つめる。