灯篭流しの夜は更けて｜リアクション

灯篭流しの夜は更けて

「寝子島でも灯篭流しをやってるのね。知らなかったわ」
　橘千歳は、傍らにいる御剣刀に水を向けた。黒地にピンクの紫陽花があしらわれた浴衣について、刀からのコメントは特になかったが、彼をよく知る千歳も、気の利いた言葉など特に期待していない。
「京都の嵐山の灯篭流しも、一度見に行ったことがあるの」
「へえ、そうなのか」
　千歳は、自分のルーツである京都のことを思い出しながら語り始める。
「灯篭流しはね、お盆に行われる送り火の一種で、京都では五山送り火が有名ね。お盆には、ご先祖様―――精霊と書いて『おしょらいさま』と呼ぶのだけど―――をお迎えして、お盆が終わったら極楽浄土に帰ってもらうの。灯篭流しは、『お精霊さま』に灯篭に乗っていただいて、お送りするものなのよ……」
　ここまで話して、千歳ははっとした。刀の方は表情を変えずに相槌を打つだけで、無言になっている。千歳は、聞かれてもいないことをしゃべりすぎたことを後悔する。知識をひけらかすように聞こえていたらどうしよう？
　千歳が、一言謝ろうとした瞬間だった。
　刀は、無言で千歳の左手を掴んだ。

　どうして、いきなり千歳の手など握ってしまったのだろう。当人である刀自身も、理由はわからなかった。
　ついさっきまで、千歳が語る灯篭流しの話を聞いていた。お盆の行事にそんな意味があったとは。昔の人は祖先のために色々考えたんだな―――そんなことを思いながら、じっと耳を傾けて相槌を打っていたのだった。
　だが―――流れる灯篭の幻想的な姿を眺めていたとき、ふと理由のない不安に駆られたのだった。先祖をあの世に送る風習に、この世の儚さを感じ取ったせいだろうか。
「千歳―――お前は、消えたりしないよな？俺の前から急にいなくなったりしないよな？」
　千歳の表情に浮かぶ困惑の色が増した。なぜこんな不合理なことを聞くのか、刀にも分からない。だが、刀の心が不安に押しつぶされ、普段とは全く別人のように気弱になっているのは確かだった。
「私は生きてるわ。消えたりなんかしないわよ」
　千歳は戸惑いながらも答えた。刀がなぜか動揺した気持ちになっていることは、千歳も感づいたようだ。彼女は刀を力づけるように続ける。
「心配しなくても、私は刀くんの前からいなくなったりしない。そのつもりもないわ。これからも、ずっと一緒だから……」
　千歳の嘘偽りのない言葉は、刀の心をいくらか鎮めたようだった。
「ありがとう……。それから、すまない。急に変なことを言って……」
　今、千歳の顔が朱に染まっていることを、刀は気付いたろうか。

　千歳は、自分がとんでもないことを言ってしまったことに気付いてしまった。この言葉は、ほとんど愛の告白だ。
「ち、違うのよ！」
「え？」
　これは告白なんかじゃない。
「何が違うんだ？」
　刀は不思議な顔をする。
「いえ、違わないけど……」
　消えたりしない、という意味合いでは嘘は付いていない。
「でも、違うの！」
「どっちなんだ……？」
　深みにはまっていることに気付いた千歳は、話の方向を変える。
「というか、いつもどっかに消えちゃってトラブル起こしてるのはむしろ刀くんでしょ？」
　今度は刀が慌てる番だった。
「いや、違うんだ。あれはフツウを守りたくて行ってただけで、ちゃんと帰ってくるだろう！」
　狼狽する刀を見て、千歳は落着きを取り戻す。
「もう少し、上流にいってみましょ」
　ふたりの手は繋がれたままだった。千歳は思う。まあ、あと少しくらい、いいかな。刀くん、安心するだろうから。