灯篭流しの夜は更けて｜リアクション

灯篭流しの夜は更けて

　スタッフから灯篭を受け取った参加者は、思い思いに和紙を彩り、次々と川へと流していく。
　そんな中、サナリアナ・アークロットは一人、もらった灯篭を手にしたまま佇んでいた。欧米系であることがすぐわかる整った顔立ち。純白の綿の生地に、濃紺の撫子の花があしらわれた浴衣を着こなし、じっと立っているさまは絵にはなった。しかし、道行く大半の人が、一向に灯篭を流そうとしない彼女を怪訝な目で見ていた。
その躊躇いには理由があった。亡き母を送るのに、まだ気持ちの整理がついていないのだ。
10歳の時の事故で、サナリアナは大切な母と、それまでの記憶を失った。それゆえ、彼女に母の思い出はない。サナリアナは、記憶の糸口を探るため、家族に母や事故のことを聞いた―――だが、父も、兄も、姉もみな口を閉ざし、何も教えてはくれなかった。
もしかしたら。
母が死んだのは私のせいだったのだろうか。
全てを忘れてしまったことを、家族たちは怒っているのではないか。
根拠がないことはわかっているが、常にそんな不安と罪悪感に囚われ続けてきた。

しかし、一歩前に踏み出せそうな出来事が、数日前に起きた。
彼女は川縁に膝をつき、灯篭を横に置くと、巾着から一枚の写真を取り出した。イギリスにいる姉が、写真と手紙を送ってくれたのである。
写真に映っているのは、幼いサナリアナをだいた母と、兄と姉だった。父がいないのは、彼が写真を撮ったからだそうだ。母も、兄も、姉も幸せそうな笑顔だった。嫌いな父も、きっと笑顔だったのだろう。
サナリアナは、姉の手紙にあった言葉を思い出す。
―――今はまだ、あの時のことは話せない。だからといって、貴女を責める人は誰もいない。貴女は、家族に幸せをもたらしたのだから。
その言葉が嘘でないことは、手の中の写真が証明していた。
日英ハーフだった母。きっと、日本のお盆には帰ってきてくれるだろう。ここなら、母に会えるはずだ。
一歩、踏み出してみよう。
サナリアナは傍らに写真を置き、代わりに灯篭を手に取った。余計な装飾は、いらない。「寝子島」「灯篭流し」とだけ書かれた白い灯篭を、彼女はそっと川面に置いた。
少しずつ離れ、小さくなっていく灯篭の灯り。
その中に、優しく微笑む母の姿が見えた気がした。

「灯篭、すごく綺麗！おにーちゃん、来てよかったね！」
白洲水澄は、隣を歩く兄・白洲瀧の方を向き、うきうきした調子で言った。
「そうだね、なんだか幻想的な気分になれるね。暗いから、足元には気をつけて」
「うん、わかってる」
　水澄は瀧の方を向き、元気よく答えた。今夜は、ふたり揃って浴衣姿だ。瀧は黒とグレーの市松模様の、落ち着いた雰囲気のものを着こなしている。
「あれ、どうしたの」
　自分の方を見つめている水澄に、瀧は問いかける。
「ううん、何でもない」
　灯篭流しを見に来たのか、浴衣姿で歩く兄を見に来たのか―――メインの目的は本人でも分からなくなっている。
水澄の方は水色の浴衣を着ている。裾にある白いシャボン玉の模様が可愛いので、お気に入りの一着だ。
「灯篭流しの時期になると、季節の移り変わりを感じるよね。知らない人と話す、という風習はちょっと手間がかかるけど。島で暮らしてると知らない人も毎年減っていくからさ」
「でも、思ったより人もいるし、大丈夫だよ。あ、あの灯篭、すごく可愛い！誰が作ったのかな？」
　水澄は、流れゆく灯篭の一つを指さした。表面の和紙に、鮮やかな色合いで朝顔の花が描かれていた。