友人二人が偶然に合流した旨のメールを受け取り、
「了解、っと」
　それに手短に返信して後、琢真は携帯から視線を上げる。暮れてきたとは言え、まだまだ日中の暑さが残る外で友人を待つのは辛い。先に店に入っていようか。
　夕暮れの路地の向こう、馴染みにしている焼き鳥屋が見えて、けれどいつもとは少し様子が違う。
　店内にも看板にも提灯にも灯りはついておらず、その代わり店先の路地にはビールケースに板を乗せただけの簡易ベンチが幾つか並んでいる。
　ベンチの一つに、どちらかと言うと文科系な二人組の青年達が座り、焼き鳥をつまみに冷酒を酌み交わしている。格好からして会社員には見えないが、纏う雰囲気は明るく柔らかい。
「こんばんわー、っと」
　それでもいつものように明るい口調で、路地に向けた換気扇の下に置いた七輪の番をする熊の容貌の店員と浴衣姿の老女将とに挨拶する。
「臨時休業っスか」
　戸口に貼られた紙を見て残念そうな顔をする話好きの常連客に、女将は申し訳無さそうにエアコン故障の旨を告げる。
「あー、エアコン壊れちまったんスか……そりゃ中で飲むのはキツいッスよねぇ……」
　作業着の尻ポケットからタオルを取り出し、汗の浮いた顔を擦る。ついでに短髪の頭も一緒くたにごしごし拭う。
「ごめんなさいね、お詫びに今日は好きに飲んでいってね」
「いいんスか」
「あんまりご注文にはお応え出来ないけれど」
「暑いですしね」
　肩をすくめる女将とごつい体を丸める店員に、琢真はサムズアップする。
「いいッスよ、俺らは酒さえ飲めりゃいいんすから！」
　琢真の明朗さにつられて女将が笑う。七輪に近い席を勧められて遠慮なく座り、
「あ、後から二人来ますんで」
　言いかけたところで、黄昏色の路地を歩いて来る男女二人連れの姿を見つける。
「……って言ってる間に来たな」
　二人に向け、作業着のままの手を挙げる。
「お疲れー」
「おつかれー」
　挨拶を交わす琢真と怜の傍ら、不機嫌顔を崩さない龍二が常とは違うらしい店の様子を眺める。琢真から店の状況を聞き、
「エアコンが壊れたねぇ……」
　眼鏡の奥の眼を丸くして楽しげに笑う怜に対して、龍二の眉間の皺はますます深くなる。
「おい琢真」
「うん？」
「お前整備屋だろ。修理しろ」
　ぶっきらぼうに言い放つ龍二と苦笑いする琢真の間で、怜が吹きだす。
「いやー龍二、暑いのが嫌だからって無茶振りすんな。琢真はいいけどお店の人が困ってんだろ」
　ほら、と怜が視線で示せば、女将と店員は困惑したような笑顔を見交わす。
　冗談だ、と言おうとしてそれすらも面倒くさくなって、龍二はその場を腐れ縁二人に放り投げる。琢真の傍に座る。
「まぁ外で飲むってのもたまには悪くないんじゃね？」
　相変わらずの探偵の態度をさして気にも留めず、怜は二人の座る簡易ベンチの前に置かれた、椅子代わりに引っくり返したビールケースに腰掛ける。
「外で七輪ってのがまた雰囲気あるよな」
　店先に置いた七輪の炭の様子を見る女将を視界に入れつつ、怜が眼を和らげる。
「確かにたまに外で飲むのもいいな！」
　裏表の無い琢真が心底楽しげに同意する。
　三人分のビールジョッキを運んできた店員が、三人の間でもう一個ビールケースを引っくり返す。木製の盆をテーブル代わりにジョッキを置く。
「とりあえずビール、で良かったですか」
「あざッス。あ、何だったら俺、肉焼くッスよ」
　常連の琢真に言われ、臨時休業にかこつけて実は自分も飲みたかった店員はここぞとばかりに頷いた。いそいそと店の奥からもう一台七輪を持ち出し、女将の前の七輪から熾った炭をいくつか移す。お願いしますね、と三人の間に網の乗った七輪と鶏肉やシシトウを適当に見繕った皿を置く。
「お、いいねえ。私達もそうさせてもらえば良かったかな」
　離れた席で冷酒を酌み交わしていた青年二人のうちの体格のいい方が柔和に笑む。
「でもくらちゃん、今日は大分飲んだしな。今度にしようぜ」
　もう片方が空になったコップを簡易ベンチの上に戻す。立ち上がり、女将と店員に丁寧に頭を下げ、持っていた名刺を手渡す。聞くともなしに耳に入ってくる青年の話を聞いていれば、どうやら青年はグルメルポも手掛けるフリーのルポライターらしい。
「あらあら、『ヤスシのぶらり独りメシ』の？」
「あ、僕その本持ってます」
　女将と店員に華やいだ声をあげられ、青年はもう一度頭を下げた。
「お先ですよー」
　くらちゃん、と呼ばれた方の青年がビールジョッキを手にする三人に向け、人懐っこい笑みで一声掛ける。
「おう、お疲れっス」
　ヤスシと連れ立って路地を歩いて行く二人組に琢真が人見知りしない声で手を振る。その手で焼肉用にと添えられた菜箸を取り、思い出したようにビールジョッキを軽く掲げる。
「つー事で乾杯」
「はいはい、乾杯」
「……乾杯」
　ジョッキをゴツリと合わせ、それぞれにビールをあおる。
「あー、仕事の後の酒はうめぇ！」
　喉仏を上下させ、気持の良い飲みっぷりを見せて琢真が笑い、
「……だな」
　物静かに、けれど琢真と同じ程のペースでビールを飲んで龍二が頷き、
「染みるなー……」
　怜がしみじみと呟く。
「っておい」
　古い友人の気安さで、琢真が素早く突っ込む。
「……俺と同じような事言ってるけど、お前らそんなに言うほど仕事してんのか？」
　串打ちされた鶏モモやササミや肝を網に乗せ、ついでに端にシシトウも置いて、琢真は二人を軽く睨む。
「自称フリーライターと私立探偵という名のニートめ」
「……っておい自称って何だよ自称って」
「誰がニートだコラ」
　ジョッキをそれぞれ持ったまま、フリーライターと私立探偵が反発する。
「昨日だって原稿書いてたっつーの」
「私立探偵だって何度言えば分かる」
「えー」
　化粧っけも無い癖にどこか艶っぽい眼を眇める怜と、悪人顔にも見える垂れ眼を不機嫌に顰める龍二に、琢真は悪びれもせずあっけらかんと笑って返す。
「労いの言葉ぐらいよこせコラ」
「お前こそ俺によこせコラ」
　楽しげに言い合って美味そうにビールを飲む怜と琢真から、龍二は眼を逸らす。
(……確かに)
　碌に依頼は来てないが、とは口にしない。言ってしまえば、腐れ縁であるよく働く工場主は、ほら見た事か、と得意げな顔をするだろう。
(分かりきった事だ)
　琢真の得意げな顔さえ脳裏に浮かんで、龍二は眉間の皺をますます深くする。不機嫌な顔で不機嫌そうに酒を飲みつつ、それでもこれはこれでいつものやり取りといつもの流れ。
「龍二、肉食え肉」
　炭火の熱が上がる七輪の上から焼き鳥の串を取り、適当な皿に置いて琢真が差し出す。
「……暑い夏にやる事か？」
　ぼやきつつ、皿を受け取る。ビールを片手、焼きたての鳥にかぶりつく。周囲の暑気と焼き鳥の熱に顔を顰めて、それでも何だかんだで美味い。
「シシトウも、ほれ」
　黙々と飲み食いする龍二に怒りもせず、案外焼肉奉行な琢真は次々と肉や野菜を焼く。楽しげに塩やタレまでつけて寄越す。
「怜も食え。どうせ不摂生な生活してんだろ」
「いーじゃん、誰に迷惑掛けるでもなし」
　焼肉奉行の箸先が、しっかりしていそうに見えて割合いいかげんな怜に向かったのをいいことに、龍二は空になった皿を脇に置き、煙草に火をつける。喫煙者に気付いた店員が店先の端から水を張った一斗缶を持って来て置くのに無愛想な目礼を返す。
(しかし)
「……この面子でよく飽きずに居るよな俺ら」
　喧嘩じみた軽口の応酬を続ける琢真と怜を見るともなしに見て、紫煙と共に吐き出す。琢真とは同い年で怜は二つ年下、共に寝子島出身とは言え性格も趣味も違う。その癖何故か昔からよくつるんで遊んだ。三十路も半ばになった今もそれは変わらないが、
(どうも性に合わねぇ)
　口にするのも面倒で、胸の内で呟いて後、龍二は半分減ったジョッキを再び手に取る。
(ともかくだ、)
　折角三人で飲む。
「今日は飲むぞ」
「おう、飲むぞ」
「はい乾杯ー」
　ジョッキが三つ、ゴツリとぶつかり合う。