落ちるだけの｜リアクション

落ちるだけの

　編んだ黒髪が空に舞う。纏った着物の袖が風に翻弄される。髪を見上げ、体を激しく打つ風を眺め、
(落下してるみたい？)
　御巫時子は黒い瞳を瞬かせた。
　どこまでも青い空と、入道雲を従えた穏かな海が見える。緩やかに円を描く海に浮かんで、半分に緑の山を、半分に人の住む町のある島が見える。島の中央付近に見慣れた校舎を見つけて、
(寝子島、ですね)
　不思議な安堵感が胸を満たす。
　空をひたすらに落ちているというのに、怖くはなかった。ただ、
(どこまで落ちるのでしょうか？)
　それだけが少し心配で、時子は落ちながら視線を周囲に巡らせる。
　エノコロ岬の灯台近くで魚を狩る海猫。
　九夜山の森で喚きながら遊ぶ鴉。
　寝子島魚市場の空に旋回し魚を狙う鴎。
　落ちる時子の後を追い、流線のかたちをして高い空から降ってきた鳶が翼を翻す。風を撃ち、時子と並ぶ。
　落ちるまま、時子は願う。この鳥さんとお話がしたいと、強く。
『落ちてるのか』
　時子と並んで落ちながら、鳶が琥珀の眼を細める。
「ええ、落ちてます」
　鳶の素朴な問いに応えて、気付いた。落ちる速度が緩んでいる。
『落ちなくなった』
「そう、ですね」
　翼を羽ばたかせ体勢を立て直す鳶に淡く微笑む。願えば叶う、ここは夢のような世界。
(夢……？)
　着物の袖を揺らし、体に風を纏い、時子は空をふわり、飛ぶ。そうして、
(この世界は私の夢の中？)
　世界の真実に気付く。
　隣に並んで翼を広げる鳶に優しい瞳を向ける。こうして鳥達と話しながら飛ぶのがずっと夢だった。それが叶って、
(本当に幸せです)
　鳶と一緒に、寝子島の空を舞う。海の匂いの風が着物の裾を涼しく揺らす。風を受けた頬が幸せな笑みに和らぐ。
「こんにちは」
　風を集めて悠々と飛ぶ大鷹に、風を切って空を疾駆する燕に、時子は優しい声を掛ける。大鷹が笑い、燕が嬉しげに驚く。森や町や山に住む鳥達が、空に舞い上がる。大小様々な、色彩とりどりの翼を時子の傍らに寄り添わせて遊ぶ。
「皆さん、一緒に遊んでくれるんですか？」
　鳥達の翼の風や音に、時子は堪らず嬉しい笑い声をあげる。
「有難う御座います」
　いつも一緒飛びたいと言っていた事を、彼らは憶えていてくれた。心底から嬉しかった。楽しかった。
　鳥達と共に空を舞い、緑の重なる九夜山に近付く。
『このあたりにいつも居るよ』
　九夜山の一角に巣を作る鴉達が幼い声で笑う。
『その山肌には寄り過ぎるな。風が乱れて飛び辛い』
　九夜山頂上展望台の辺りを見遣り、大鷹が渋い声で忠告する。
『ここ休憩しやすい木！』
　千年杉の近くで雀達が口々に喋る。実際に木の枝で休憩してみせて、賑やかに囀りながら後を追ってくる。
　九夜山を巡り、寝子島高校の上にさしかかる。校舎を空から見下ろすのが面白くて、時子は笑みを零す。
　高校を過ぎ、星が丘寮の上の空に来たところで、時子はこちらを目指して翼を羽ばたかせるヨタカさんの姿に気付いた。お気に入りの寮の木から飛んできてくれたヨタカさんは時子の肩に翼で触れる。傍らを一緒に飛んでくれる。
　島の鳥達と空中散歩をめいっぱい楽しんだ後は、いつまでも暮れない夢の青空を背負って寮の庭にふうわり着地。
「皆さん、本当に有難う御座います」
　庭の木や屋根に羽根を休めるたくさんの鳥たちに、時子は深々と頭を下げる。応えるように、鳥達が一斉に翼を空へと羽ばたかせる。
　鳥達の翼が起こす風に髪を撫でられ、時子は瞳を空へと伸ばす。その幻想的とも言える光景に思わず見惚れる。
　飛び立った鳥達の群から一羽きりで戻ってきたヨタカさんがいつものお気に入りの木に止まる。微笑む時子に向け、
『楽しかった』
　ぽつりと言って、笑う。