落ちるだけの｜リアクション

落ちるだけの

　目が眩むほどに鮮やかな青空に手を伸ばす。
　指先さえ青く飲み込んで、空の光が瞳に降る。
(……空がきれいや)
　浅沼柳司は鋭い眼を更に鋭く細める。
　重力に引き摺られ内臓が引っ繰り返るような落下の感覚に、遠い空が風の鳴く音と共に遠ざかる景色に、覚えがあった。
(小学校の頃やったっけ)
　記憶を手繰って瞬いて、頭の隅にあの時の景色が浮かぶ。
　屋根の庇に引っ掛かったボール。
　それを取るため、隣に生えた木を友達と一緒によじ登った。梢を伝って屋根に登った。首尾よく高い屋根に登れて、友達と一緒に笑いあった。
　いつもと違う高さから見たいつもの町が、何だかいつもと違うように見えてちょっとわくわくした。
　けれど、良かったのはそこまで。
　うっかり足が滑った。屋根瓦の上を転がって、止まることが出来ずに背中から宙に投げ出された。
　あの時の、友達の引きつった顔を覚えている。
　あの時も、今日みたいな綺麗な空が見えていたのを覚えている。
(懐かしいなぁ)
　心の底からふと蘇った記憶に、柳司は思わず笑う。
(あの時は、)
　地面にぶつかった瞬間はよく覚えていない。瞼を開けた時には、友達が周りから心配そうな顔で覗き込んでいた。友達を泣かせたくなくて、大丈夫と言おうとして、息が出来ずに咳き込んだ。
(結局泣きそうな顔、させてしもたなぁ)
　もし空が飛べたら。あの時、確かにそう思った。
　空が飛べたら、
(へーきって笑って、)
　友達に心配を掛けずに済んだ。
　屋根から落ちて怪我をしたことよりも、友達に泣きそうな顔をさせてしまったことを悔やんで、柳司は小さな息を吐く。
　吐き出した息が、瞬く間に風にさらわれる。
(ああ、今まで忘れとったなぁ……)
　幼い頃の落下の記憶に、今が重なる。あの時と同じ程に、
(いやもっとヤバいけどな)
　肩越しに視線を巡らせれば、背中の向こう、遥かに遠い真下の海。
(この高さから落ちたら死ぬやろうな)
　あの時のように打ち身だけではきっと済まない。
　暴風に体を殴られ続ける鬱陶しさに今更気付いたように、眉間に縦皺が寄る。
　あの時にし損ねた息を取り戻すかのように、胸に空気を満たす。
　あの時と、今は違う。
　飛べなかった過去を飲み込み、鮮やかに明るい青空に向けて短く口笛を吹く。
(今は――)
　柳司の身に宿ったろっこんが発動する。
　足首より先が鋭い爪持つ鳥の肢に変化する。背の肩甲骨部分から鳥の翼が勢いよく生える。
「って服、邪魔！」
　鳥肢の爪が突き当たる靴を蹴り捨て、鳥翼が引っ掛かるシャツを脱ぎ捨て、
「よう考えたらこの体勢でろっこん発動したことなかったー！」
　翼に風を集められず錐もみ状態に陥る。落下速度を緩められないまま、バランスが崩れる。くるくると体が回る。
「あかーん！」
　賑やかに喚き、必死に翼をばたつかせる。鳥肢も手も体も全部もがかせ宙を打つ。
　海面が迫る。渦巻く波の飛沫が頬に触れる。
　海に落ちる寸前、翼が風を掴んで膨らむ。波に爪先を触れさせながらも、どうにか体勢を立て直し飛ぶに成功する。
「しッ、」
　乱れる息を整え、柳司は海面を爪先で蹴る。翼を羽ばたかせる。
「死ぬか思た……」　