メインステージの大舞台で、夢宮瑠奈は勢いよくジャンプした。

　瑠奈はグループ『CitrusCat's』の一員で、ステージでは『末明せれね』を名乗っている。
　本日は不幸な偶然の連続のため、残念ながらグループの他のメンバーの姿はない。ソロとしてのプロモーションという格好だ。
　ともすれば萎縮しそうになるが、せれね（瑠奈）だって伊達にプロのアイドルではない。凜たちにもらった勇気を糧にして、伸びやかな声で呼びかけた。
「こんにちは！　はじめまして、『CitrusCat's』の末明せれねです。他の子の都合はつかなかったけれど、ソロでも、がんばるの！」
　今日はせれねの一般公開の日、第一印象はとても大事だ。だから向日葵のように明るい笑顔を見せる。
「ではさっそく、聴いて下さい。CitrusCat'sの『ゼントタナン』！」
　すると耳なじみのよい素敵なメロディーが、ぽんぽんと跳ねるゴムボールのようにして飛び出した。

　ゼントタナン　だけどガマン
　笑われたって笑顔返せるの
　ゼントタナン　だけどガマン
　笑顔だけは崩さない
　私のステージはもう止められない

　この選曲はせれねにとって、今の立場を象徴するかのよう。
　賭けは吉と出た。知られている曲ということもあって、大きく好意的な反応が返ってきたのだ。
　もう、不安に感じることはない。
「ありがとうございまーす！」
　せれねは深々と頭を下げた。
　顔を上げると胸を張る。びっくりするくらいお客さんがいるけれど、『ゼントタナン』の一曲で、一気に味方にすることができたと思う。
「それからもう一曲。これは末明せれねとしてのデビュー曲、聴いてくれますか？」
　もちろん反応は上々だ。嬉しくなってせれねは言った。
「これはママの作った未発表曲、『あなたをもとめて』って言います」
　せれねにとっては自信の一曲だ。これだけの観衆の前で初披露できるというのも喜ばしい。
「それでは歌います！」

　あなたをもとめて　わたしはあるくの
　あなたがいるから　わたしはあるける
　ひとりにしないで　おいてかないで
　わたしをいつでも　見守っていて

　あたしは未来へあるきます。あなたをもとめて。

　曲調はポップだけれど、歌詞には彼女の母親の願いがこもっている。
　せれねにとっては、母からの心がこもったプレゼントのような曲だ。
　そんな想いが伝わったか、せれねが歌い終わったとき観衆から届けられたのは、たくさんのあたたかい喝采だった。
「楽しいけれどなんだか、心に残る詞でしたね……」
　せれねの姿を見送ると、巫部 紫苑は客席の人だかりから抜け、日傘をさしてメインステージ周辺をそぞろ歩くことにした。

　とてもとても良い天気だ。たくさんの人出でごった返している。
　今日、ネコフェスなるものが開催されていることは紫苑も知っている。
　だが、そのネコフェスがどういうものなのか、今ひとつ彼女は理解していなかった。
　どうも音楽に関係があるらしい。たまたま居合わせた軽音部とせれねのステージだけは紫苑も観ていた。
　けれどずっとステージを観る必要はなさそうなので、ここで紫苑は周辺の出店を見て回ることにしたのだった。最初は日傘を差していたが、人が多くて危ないと判断したので閉じて歩く。
　いい香りがしてくる。
　トウモロコシが焼ける香り。ポップコーンを味付けるバターの香り。甘く芳醇なソースの香りに、煙に混じった燻製の香りなどなど……。
「さて、ここにはどんな美味しいものがあるのかしら？」
　紫苑の口元には笑みがあった。彼女にとっての『夏フェス』はここから始まる。
「こういう場所の出店巡りって楽しいのですよね」
　歩くたび、たくさんの店に出会った。
　夏祭りの夜店的な定番の屋台も数多いが、本日はエスニックフードやここ限定の丼ものなど、目を奪うラインナップが目白押しだ。分厚いステーキの姿もある。
　これに対し紫苑は迷ったか？　どれを選ぼうか熟慮したか？
　否。
　紫苑はそのすべてを、ほとんど端から順という勢いで味わっていったのである。
　しかも量もすごい。大盛りがあれば必ず大盛りを注文し、『二人前』と書いてあるものも平気でひとりで平らげる。容姿に反してかなりの大喰らい、イベント会場の出店を食い尽くす勢いで食べていった。
　ただ、その注文の仕草に言葉が、年齢以上に丁寧でしかも清楚だったりするので、ほとんどの店で店員は「本当に食べられるんですか？」という風に訊き返してくるのだった。華奢なお嬢様が『激辛カレー丼ラージサイズ』を頼んでいるのだから当然だろう。もちろん紫苑のほうはこくりと頷き「はい」と答え相手を驚かせるのであった。
「こんなに美味しいものが沢山あると、暑さも忘れてしまいますね」
　そんな紫苑の幸福をさらに高めるかのように、メインステージからは素敵な音楽が流れてくる。
「あら？　やはり大きなステージから色々聞こえてきます……今日はそういうイベントなのですね……ふふ、音楽を聴きながらの食べ歩きも楽しいものですね」
　いま、ステージで奏でられているのは、オーケストラのような分厚い音の壁と、男臭い雄壮なコーラスが特徴のシンフォニックメタルだ。バンドはかなりの大人数で、ドラムキット二台に加えて銅鑼まであるので、ずしんずしん下腹にひびくほど音圧が力強い。
　乙女向きとは言いがたいジャンルかも知れないが、実はこういった音楽には女性ファンも多い。紫苑も気に入ったらしく、
「好きですね。こういう音楽」
　腕に日傘をひっかけ、ステーキ丼ドカ盛りを手にしたまま、うっすらと目を細めたのだった。
　少し激しい方が耳心地がよく、よく眠れるから……なんて思ったりもする。よく眠れる？　そう、紫苑にとってはその通りなのだ。心が落ち着く。
　やがてシンフォニックメタルの演奏がすむと、いざやかき入れ時とばかりに、屋台の呼び込みが一気に活性化した。ステージ入れ替えのタイミングで売り上げが伸びるのは、音楽フェスティバルの常識だ。
　そんななか、ひときわ威勢のいい店がある。和菓子屋『萩屋』だ。
「カカッ！　陽差しはますますキツくなってきたね！　稼ぎどき稼ぎどき！　しっかり稼いで知名度あげるわよ！」

　矢萩 秋は萩屋の店長だ。のれんの内側から駆け出すや、ぐっと袖まくりして威勢良く呼び込みを開始した。
「さぁ、音楽で暑く火照った体に涼しいかき氷はいかが？　アイスにラムネもあるよ！　甘味だってあるよ！」
　秋の口上は立て板に水、気っ風がよくて歯切れもあって、まるで音楽、聞いているだけで、思わず足を止めてしまう者は少なくない。
「おすすめは今日この日しか販売しない『ネコフェス饅頭』だよ！　さあ、いかがですか！」
　さっそく紫苑も惹きつけられて、ふらっと屋台に立ち寄れば、たちまち秋は接客モード、さっとメニューを取って示した。
「さあさいらっしゃい、なににする？　かき氷なら一般的な味は全網羅してるし、アイスの品揃えだってだってそこらの専門店にも負けちゃいない。昔ながらがお好みなら、ラムネに水羊羹も用意してる。和菓子をご所望なら寝子饅頭、こいつはこしあん饅頭に猫の絵が焼かれてるって寸法だ。お土産品には本日限定『ネコフェス饅頭』ってのがお勧め！　こしあん饅頭に、ネコフェスのバックドロップの焼きを入れたものだよ！　どれを選んでも後悔はしないこと請け合い！」
「では抹茶アイスのＬサイズと、持ち帰り用『ネコフェス饅頭』を二箱下さいな」
「はい、毎度あり―！」
　秋は代金を受け取ると、さっと暗算して釣り銭と商品を手渡した。本日、萩屋の従業員の多くは会場設営などのボランティアに回したので、かなりの作業をひとりでこなさなくてはならないのだ。といってもさすがは店長、動作は俊敏で間違いがない。
「お客さん、ここは音楽を聴きに来たの？　それとも演奏しに？」
「ふふ、実は屋台回りが主ですね」
「ハハッ！　屋台の経営者としては嬉しい限りだね。せっかくのお祭りだ。楽しんでいってよ」
　またどうぞ、と紫苑を送り出すと、颯爽と秋は呼び込みに戻っていった。
　ああ忙しい。けれど充実している。毎日がフェスティバルならいいのに！