いつもより賑わう参道商店街。
　炉端焼きの屋台を出す魚新の傍にちょうどいい日陰を見つけ、浅沼 柳司は借りたギターのケースを開ける。
　弦を弾くと、早速足を止める人々。
（ここが今日の俺のステージや）
　柳司は景気づけにニカッと笑う。
「素人丸出しかもしれんけど、かんにんな。せっかくのネコフェスや、あれこれ考えず楽しもう！」
　路上ライブ、というよりは弾き語りという方がしっくりくるかもしれない。歌い出しはこうだ。

　　　♪長いサンマさんパン買ってみても４９０円　でもねこまんま付かない
　　　　たとえば寝子島丼中盛り頼んだら４８０円　でもねこまんま付かない♪

「なんだかおかしな歌詞ね」
　通りかかった神薙 焔は足を止め、思わずくすりと笑ってしまう。これが柳司に自信をくれた。
（おっしゃ！　狙い通り！）
　柳司はすっかり勢いに乗った。５００円で手に入るものと人生の哀愁とを歌い上げると、いつの間にか出来ていた人垣からわっと拍手が上がる。
「どもー。１曲目は、さにゃまさしさんの『私は猫になりたい　￥５００』っした。
　貧乏学生にとっては５００円であっても結構でかいっすよねー。
　コンビニでおにぎり、下手したら５個近く買えるんっすよ？」
　そうだよねー、と広がる笑い。そのあとも５００円をネタに話が膨らむものだから、なんだなんだ、と足を止める人が増えてゆく。しばらくして話が弾み過ぎたことに気づき、柳司はぽりぽり頭を掻いた。
「これじゃ、トークの方が長くて路上ライブじゃなくて漫談か。まあそれはそれでええやんな」
　そうしてギターを構えなおす。
「２曲目は俺の地元大阪を代表する名曲で、俺の親父が好きでよう歌ってた曲ですー。
　ほんまはこの曲18番まであるらしいんやけど全部歌うととんでもない時間かかるんで途中まで！
　じゃあ、聞いとってください。『大阪で生まれちゃった女』」


「あ、いいなあ。懐かしい。ボクもこの曲好きだなあ」
　炉端で串を回しながら、もう片方の手でギターを爪弾こうをする新井 いたごの手を、妻の新井 なぎさはぺちりと叩く。
「あなた、お客さんが先」
「そうだった」


　鮮魚、乾物、ちくわといえば魚屋『魚新』。
　キスに太刀魚、ホタテにサザエにタコにカニ。自慢の新鮮素材を素朴な味付けで出してくれるので、客足が途切れることのない人気屋台となっている。好きな魚を炉端で焼いて貰ってもよし、店の前にも炭火焼きが出来る机と椅子が出してあるので客が自分で焼いてもよし。お土産用の海産物に、もちろんちくわも置いてある。
　店を切り盛りしているいたごとなぎさは揃いの法被に、『魚新』印の揃いの前掛け。
　接客の合間に、なぎさが好きなハーモニカを吹いて呼び込みする。
「いらっしゃい！　炉端席、今なら空いてまーす」
　可愛い奥さんにそう呼び止められちゃ、ちょっと寄ってこうかなという気にもなるもので。



「あなた！　おひとり様おねがいね」
「いらっしゃい。座って座って」
　客を自分の前に招くや、いたごはギターをかき鳴らし。

　　♪さあ注文何にする？　もちろん炭火さ
　　　素材もとれとれぴちぴちの新鮮
　　　絶品まちがいなし
　　　あいよお任せセットにビールね
　　　よろこんでー♪

「もう、あなたったら」
　焼き物が疎かになってるわよ、となぎさは頬を膨らませる。
「アッファービレ！　愉快に心地よく、ね。お祭りだし大目にみてよ。……ってボクはいつもこうか」
「そうよ」
「あはは、なぎさ、怒った顔もかわいいね。頬がサクラ貝みたいになって綺麗だよ」
　いたごのへたくそなウィンクに、なぎさは嬉しいやら恥ずかしいやら。
　真鯛みたいに真っ赤になった奥さんを見て、酔った馴染客たちが「また始まった」「何年経ってもアツアツだねえ」などと口々に冷やかす。

　そうこうするうち息子の新井 すばるが帰ってきた。
「わ、もうお客さんいっぱいだ」
「すばる、おかえり。ご苦労さま。暑かったでしょ？　ラムネ、冷やしといたわよ。
　それでね、悪いんだけど一休みしたら父さんの手伝いに入ってくれる？　ほら、あの人またアレだから」
　なぎさが視線を送った先には、気持ちよくギターを弾くいたごと、拍手でそれを囲む客たち。
　すばるはちくわの中から顔を出すと、溜まった熱気をふうっと吐き出し、母に向かって笑顔を見せる。
「オーケー」
　冷たいラムネ。汗が流れる。からりと青いビー玉が鳴る。
　喉を潤し、改めて蒸し暑いちくわの中に包まれると、すばるはてきぱきと働き出した。
「はいおまたせ、なに焼ましょう？　新鮮な魚介類にちくわ、なんでも焼きますよー」
「こんにちは」
　神薙 焔が顔を出す。なぎさがどうぞ、とうちわを渡す。すばるの手持ちは売り切れたけど、屋台に来たお客さんに配る分はまだ残っているのだ。それをぱたぱたさせながら、浴衣の焔は炉端や海産物を眺め見た。

「ちょっと歩きながら摘めるものもらえる？　ちくわとか」
「今日はネコフェス限定、冷やしちくわがあるよ」
「じゃそれ頂戴」
「あいよーしばしお待ちを」
　後ろを向くすばる。手にしたちくわから冷凍ビームを放たれ、細い竹に刺したちくわを凍らせる。すばるのろっこん、＜ちくわ☆ビーム＞の力だ。ちくわがカチカチになると、すばるは振り返り焔に手渡す。
「はい、きんきんに冷やしておきましたー。
　あ、それ持ち手の竹は食べ終わったら竹笛になってるんで。食べ終えたら吹いてみて」
「芸が細かいわねー」
「でしょ？　まいどありー」

　冷やしちくわは珍しさも手伝って売れに売れた。なにしろこの暑さだ。ビールか、かき氷か、冷やしちくわか、という具合である。すばるは大忙しになった。
　そこに、黒髪の美しい眼鏡の少女が現れた。
　少女は小首を傾げ、いたごやなぎさにも会釈する。すばるは手を広げてこの来客を喜んだ。
「あ、神野さん手伝いに来てくれたの？　助かるー」

「え、その……」
　神野 美野梨はちょっと口ごもった。もちろん手伝うのはやぶさかではなかったけれど、生物部やミステリ研で友人のすばるの家で炉端焼きの屋台をすると聞いて、顔を見に立ち寄っただけだったのだ。
「ははっ、ごめん冗談。なんか持ってってよ。
　そういえば神野さんがアイディアくれた冷やしちくわ好評でさ。感謝感謝だよ」
「ええ、ちくわ飴よりはこちらのほうがいいと思うわ……風情があって。じゃあ折角だからそれひとつ」
　するといたごが、またギターをかき鳴らした。
「すばる　そういうことならサザエでも焼いてやれ。
　イヤ、お嬢さんこいつはボクらの感謝の気持ち　サービスサービス　遠慮なく♪」
「もう、あなたったらまた歌ってる」
　美野梨はそんな新井夫妻の様子に思わずくすくす忍び笑い。それからちくわなすばるを見上げる。
「お父さん、新井くんによく似てるわね」
「ちくわに？」
「素顔の方」
「あはは、うん、そうだよね。でも怒られてるね父さん」
　すばるの声色がふいに緩む。
「……あんな風でも仲いいんだよあの二人。
　ボクも母さんみたいなお嫁さん見つけてあんな夫婦になりたいなって思うくらいにさ」
「そうね。素敵よね……」
　冷やしちくわとアツアツのサザエと、それからうちわも受け取って、美野梨は新井一家に頭を下げた。
「ごちそうさまです。ギターも良かったです」
「かっちけねぇ、かっちけねぇ」
　いたごが鼻の下を擦って笑う。

　お仕事頑張ってね、と手を振って別れて。柳司の弾き語りの前で足を止める。柳司のトークは相変わらず絶好調。美野梨は長い黒髪を片手でそっと耳にかけ、冷やしちくわを口に含む。
「美味しい……」
　口の中で舐めて溶かしてときどき齧り、最後に残った持ち手の竹笛をぴゅーと吹く。
「あ、楽しい、かも……」