真衣が首を傾げる。
「健作君は確か、大学進学したよね？」
「うん、大学を出て、最初は証券会社に就職したよ。でも、金融ショックで倒産しちゃって」
　健作は今に至るまでの職歴を指折り数える。
　次に勤めた再生可能エネルギー関係の新会社は事業見通しに暗雲立ちこめた為、親会社が撤退。
　その次は大学の先輩がオーナーを務めるベンチャー企業に入れて貰うも、先輩が体調を崩してオーナー交替し、流石に居辛くなった為に退社。
　生活を成り立たせる為、次の勤め先が決まるまでの繋ぎに風俗関係の黒服業に何とか潜りこんだその矢先、オーナーの悪事絡みで一斉検挙、
「コレは流石にきつかったね。警察にも連れて行かれたし……」
「大変だったのね」
　永姫が気の毒そうに眉を顰める。
「新米で何も知らなかったから、すぐ釈放されたけどね」
　自分の事なのに、と健作は息を吐き出す。
「社会の波に流され過ぎで笑えて来るよ」
　笑おうとした唇は、けれど笑えず、健作は飲めない酒を口に含む。あの時はもう途方に暮れた。居場所を得ようとどれだけもがいても失ってしまうのは何故だろうと。
「公園で座ってたら、証券会社時代に縁を得ていた黒川さんから黒川探偵事務所の助手にスカウトされてね」
　アルコールの熱が喉を焼いて、
「今は探偵の助手をしてる」
　健作はようやく唇に笑みを得る。
「主な仕事は猫探しだけどね」
　神魂やろっこん絡みの依頼があることは伏せておく。
「私はしがない看護師よ。寝子島総合病院で働いているの」
　永姫が日本酒のグラスを空け、少し迷って焼酎のロックを注文する。
「私も同じ焼酎を」
　二杯目をサワーにしようか焼酎にしようか迷っていた真衣が永姫の注文に便乗する。
「お医者さん、看護師さん、ネイリストさん、探偵助手、……」
　景貴がそれぞれの職業を数え上げる。
「ケーキ屋さん」
　美鶴が景貴の職業を付け足す。
「皆、それぞれの道に進んで、頑張ってたんですね」
「卒業して十年かぁ……」
　真衣が空を仰ぐように天井を仰ぐ。
「時間が過ぎるのは早いわねぇ」
「それにしてももう誰か結婚しているかと思ったけれど……」
　永姫が順繰りに同級生を見詰める。
「浮いた噂はないの？」
「そういう永姫は？　私、永姫が仲間内では一番最初に結婚するんじゃないかって思ってたよ」
　お団子に纏めた髪をひょこんと揺らして、美鶴が三杯めのビールを店員から受け取る。同じように酒を受け取った永姫と真衣と、女子三人で軽く乾杯する。
「私？」
　グラスに唇を付け、永姫は意志の強そうな眉を僅かに寄せて睫毛を伏せる。
「そうね……今までどれも本気の関係じゃなかったわ」
　箸を使い、串からつくねを外す。育ちの良さが垣間見える永姫の飲食の仕方に、健作は彼女に対する高校時代の噂をふと思い出した。
　高校時代から、彼女はその佇まいや雰囲気から、どこかのお嬢様ではないかと噂されていた。本人に確かめたツワモノも居たが、淋しげな微笑で誤魔化されたらしい。
(……多分、今も)
　永姫の整った横顔を目にして、健作は小さく首を横に振る。
　家族の事を尋ねたとしても、今もきっと返って来るのはあの頃と変わらない謎めいた微笑みだけだろう。
「皆大人になってもあまり変わっていないわね」
　懐かしげに、嬉しそうに、永姫が笑む。
「芽守君は相変わらず真面目そうだし、荒井君はよく気のつく優しさはそのまま、藤谷さんはおおらかでとっつきやすいままだし、三ッ川さんは益々綺麗になって……相変わらずモテるでしょう？」
「うーん、どうかなあ」
　高校時代には男性よりも女性にモテていた経験のある真衣は明るく笑う。
「そうだ、今度久しぶりに高校に遊びに行ってみない？」」
「いいですね、あの頃の先生方にも会えるなら会いたいです」
　景貴が十年前に思いを馳せる傍ら、
「アタシ、流石にもう高校の制服は着れないわ、恥ずかしくて」
　真衣は服の胸元を引っ張っる。あんな短いスカート、きっともう素足のままでは穿けない。否、素足でなくても穿けない。
「卒業式、すごかったよね」
「下級生の娘たちに第二ボタンくださいって群がられてたわね」
　美鶴と永姫が楽しげに笑いあう。真衣はちょっと困った顔をする。
「大変だったのよ」
「で、誰にあげたの？」
「誰に毟られたのかも覚えてないわ」
　美鶴の興味津々な疑問に、舞はさばさばとした笑みで手を振る。ほんの少し頬を赤らめ、ふうわりと花の香りのする芋焼酎を喉に流し込む。
　久しぶりに会った友達と酒を酌み交わし、昔の話や今の話に花を咲かせることがこんなに楽しいなんて、今を過ごすことで精一杯だったあの頃は思いもしなかった。
（大人になった、ってことなのかな）
　小さいながらも自分の店を持ち、学生の頃には思いもしなかった苦労を経験しながら、あの頃は良かった、なんて時々は思いながら、それでも。
（大人になるのも、悪くないわよ）
　真衣は制服の頃の自分にそっと笑いかける。
「懐かしいな」
　健作が思い出したのは、所属していた柔道部。
　練習漬けの日々だった。ひとつの事にあれだけ集中して打ち込むことが出来るのは、学生の特権だろうと思う。
「毎年部員が足りず、景貴に籍置いてもらってたっけ」
「確か、荒井くんと二人で人数の少ない柔道部に助っ人に行っていたよね」
　美鶴がちらりと首を傾げる。
「初めは本当に籍を置くだけだったんですが、成り行きで練習相手になるお手伝いもするようになって」
　景貴があの頃を思い出して短く笑う。
「そうなの？　三年生になるまでずっと柔道部だったよね？」
「……おかげで受け身がとても上手くなりました」
「うん、僕も」
　美鶴の問いに景貴と健作は顔を見合わせる。
　相変わらず仲の良さそうな元柔道部員二人を美鶴は見遣る。あの頃鍛えた筋肉が落ちずに残る健作の背中や肩を医師の視線で暫く眺めて、
「健作君は探偵業なんだよね」
　あんま無茶だけはしないようにね、と何かを見通したように眼鏡の奥の視線を真直ぐに健作に向ける。
　探偵助手の職業病なのか、健作は傍らにメモを置いている。
「医者だって万能じゃないんだからさ」
　医者になってみて、それは身に染みた。助けたいのに、どう足掻いてももがいても助けられない命の場面に立ち会って来た。
「探偵だからって命のやり取りになるような荒事は避けなきゃ駄目だよ？」
　医者の真摯な瞳に見詰められ、探偵助手は淡く苦笑いする。小さく顎を引く。
「肝に命じるよ」　
「よろしい」
　真面目な顔をした自分が自分でも可笑しくなってきて、美鶴はおどけて笑う。
「永姫、おかわりいる？」
「ええ、次は何にしようかしら」
「すみません、お勧めのお酒を教えてください」
　いいペースで杯を開ける永姫に、同じくグラスを空にした真衣がほろ酔いに頬を染める。
「そんなに飲んで大丈夫？」
「昼から飲めるなんて最高よね」
「ね」
　美鶴の心配を真衣が闊達に笑い飛ばす。永姫が相当飲んでいるはずなのにそうは見えない白い頬を甘く緩める。
　店員お勧めの、苺の香りがするという芋焼酎をロックで二杯分頼めば、
「美味しそうね。私も頼んじゃおう」
　友人たちの飲みすぎを心配したはずの美鶴もうっかり手を上げる。
「僕はビールを頂けますか」
「焼き鳥盛り合わせを塩で」
　景貴と健作も明るい声で注文を重ねる。
(今日は悪い夢を見ないといいのだけど）
　何度目かの乾杯を交わしたグラスを唇につけて、永姫は誰にも知られずに微かな息を吐く。
　楽しい時間を過ごせた。お酒も、美味しい肴も頂けた。
　懐かしい、気の置けない友人達に会えて、普段はきっちり被っている『大人』としての仮面を外せた気がする。
(だから、きっと大丈夫)
　外はまだ明るい。
　――それに、小さな同窓会は始まったばかり。