シーサイドタウン二丁目『オカマバー・ネコ』｜リアクション

シーサイドタウン二丁目『オカマバー・ネコ』

●余韻の時間

　マイナーブルーノートスケールのBGMがかかる。
　閉店が近づいてきたということを示していた。
「そろそろ俺行くわ」
　本田宗次は残る酒を一気に煽った。喉に熱が走り、腹の底に溜まっていった。
「もうすぐ閉店よ。さっかくだから最後までどう？」
　ナルミは視線を流すだけで、宗次を絡めとる。
「いや、もう十分楽しんだし閉店後も忙しいだろ。また来るよ」
「そう」
　しかし宗次は首をふって振り払い、ナルミもそれ以上は引き留めようとはしなかった。
「あ、今日は、サービスで安くなってるの。おつりよ」
　ナルミの握らせてくる手をそっと振り払い、宗次はニヒルぶった笑みを浮かべた。
「ああ、それはいいや。そういうのは新規の客向けだろ？」
　どう考えたってその値段じゃ赤字だ。
　その言葉を飲み込んで、席を立った。
「それなりに飲んだから帰るよ、また困ったことがあったら言ってくれ」
　あんまり飲んでないくせに。
　ナルミの呟きが背中を撫でる。
「……たまにはこういうのも悪くないさ」
　心地よい感覚に包まれて、宗次は戸をくぐり抜けた。

　しいは――獅子島市子は促されるままにソファーに座る。
　隣の彼女は――樋口弥生は黙って手首でグラスを転がしていた。
「……見てたんすか今の」
　思わず市子の声は震えた。それは恐怖でも歓喜でもない。と市子は思う。
「なんのことかしら」
　弥生はいつも通りの涼し気な表情をしたまま、グラスを煽り、唇を湿らせた。
「顔見りゃ分かんよ。こっち見てた中で澄ましてんのあんただけだ」
　市子はぎゅっと唇に力を込める。
　祖母と母以外霊能者を知らず、市子は一八年を過ごしてきた。
　そしてそのふたりはもう居ない。
　今までの人生を孤独と呼ぶのかはわからない。
　この環境の名前を教えてくれる人はいなかったから。
「そう」
　弥生はすぅっとお月様みたいに微笑んで、市子を見つめた。
(仲間が欲しい？)
　その顔を見て自問自答する。
(分かんねーけど)
　迷いに引っ張られ、市子は俯く。
(けど……)
　するときゅぅっと胸の奥が締め付けられる感覚ばかりが、市子の中に広がった。
「あの……名前」
　静けさと痛みを塗りつぶしたくて、市子は問いかける。
「樋口弥生です。あなたは？」
「あたしはシジマイチコ」
　あ、と思った時には遅かった。うっかり名乗ってしまった本名を誤魔化すこともできず、市子は弥生の反応を待つ。
(在学時出席日数三日……覚えてるはずねーよ、な)
　歳がバレたら店長にも迷惑をかけてしまう。
　だからこの間が居心地が悪いのだ。
　そう自分に言い聞かせながらも、どこかで、それとはまた違う感情が頭をもたげている。
「どこかでお会いしたことがあったかしら」
　疑問符を携えていない弥生の言葉に、思わずたじろいだ。
　市子の中でふたつの感情がせめぎ合う。
「……小さい島なんで」
　市子が苦しんでその一言を吐き出すと、弥生はやはり月のように静かに「そう」と呟いた。
「あんまり、無理はしない方がいいわよ」
　その言葉の真意は市子にはわからなかった。
　けれど尋ねる勇気もなく「そのうち……また」と弥生に背を向けることしかできなかった。
　