捨てられた楽園｜リアクション

捨てられた楽園

　羽織った赤いジャージをはためかせ、七分丈の黒いパンツを穿いた後木真央が木々の合間を走り抜ける。赤い炎の塊と化して前方の光に飛び込んだ。
　中空で太陽にも負けない笑顔の輝きを放つ。
「おー、ついに見つけたのだ、噂は本当なのだ」
　着地と同時に背中の赤猫リュックの尻尾が勢いよく跳ねた。
　真央は陽だまりに微睡む猫のように目を細くした。頭頂から突き出た毛が風と戯れる。
「涼しくて気持ちいいのだ。夏休みに涼みにくるのもいいのだ」
　目を細めたまま、リュックから水筒を取り出した。蓋をコップにしてオレンジ色の液体をなみなみと注いで飲み干した。
「ぷはぁ～、ロードワークのあとのオレンジジュースは最高なのだ」
　一連の動作は居酒屋でくつろぐサラリーマンの姿を想像させる。御摘みは棒状の菓子で先端を小刻みに齧った。
「明るくてものんびりできないのだ、おネコさまのシャッターチャンスを真央ちゃんは絶対に逃さないのだ！」
　口に飴玉を放り込んだ真央はデジタルカメラを手に活発に動いた。境内を取り囲む木々を何枚も撮った。薄暗いところでは、はい、煮干しーなのだ、と独特な言葉を駆使した。
　興味が移ったのか。人工物の石畳や賽銭箱にもレンズを向けるようになった。
　真央は駆け足で拝殿を回り込んだ。瞬時に緑の瞳が斜め上の蓮を捉えた。
「れれれ蓮ちゃんなのだ！？　お浄めはおネコさまには必要ない気ががが……どうしたのだ？」
　真央は声を落とした。蓮は両足を投げ出した姿で座っていた。揺れるような視線で儚く笑って見せる。
「……半杓の水恩が過ぎて、軽い脱水症状になりました」
「それは大変なのだ！」
　真央は水筒の蓋に中身を注いだ。急速に傾いた水筒は縦になり、出るのだー、と最後はおみくじの筒を振る要領で上下に激しく動かした。
「これで足りるのだ？」
　しょんぼりとした真央が八分くらいの量を差し出した。項垂れるような礼で受け取った蓮が蓋に口を付ける。喉仏が大きく動いた。僅かな間のあと、一気に中身を空けた。
　強く瞼を閉じた蓮の姿に、オレンジは苦手なのだ？　と真央が心配そうな声を出した。
　蓮の硬い表情が緩んだ。
「……あまりの美味しさに、すぐには声が出ませんでした。真央さん、貴重な飲み物をありがとうございます」
「いいのだ、真央ちゃんも役に立てて嬉しいのだ」
　程なくして蓮は下山の途に就いた。傍らには付き添う真央の姿があった。

このページにイラストを設定する