あなたを待っている｜リアクション

あなたを待っている

　ジニー・劉は路地裏を渡り歩く。寝転がっている猫を見る度に、平和だねぇ、と眼鏡の奥の目を細めて言った。
「稲波を迎えにいくか」
　ぼさぼさの髪に手櫛を入れてジニーは通りに出た。出くわした若い女性が短い悲鳴を上げた。瞬時に目を凝らすようにして、ごめんなさい、と早口で謝って駆け出した。
　ジニーは着ていたアロハシャツの柄に視線を落とす。
「血飛沫に似てるかもな」
　気のない声のあと、駅の方向に歩き出した。
　前方に駅が見えてきた。真っ直ぐに向かわず、ジニーは見つけた路地裏に身を寄せた。
　胸ポケットからケータイを取り出した。今日の待ち合わせの相手、稲波鷹志からメールが届いていた。
「時間に遅れるなんていうんじゃねーだろうな」
　ケータイの画面には予想を超えた内容が表示された。
『急に野暮用ができて行けなくなった。すまない、この埋め合わせはきっとする』
「もっとひでえじゃねぇか」
　目的を失ったジニーは項垂れた。
「貧血か」
　横手の声にジニーは顔を上げた。通りから様子を目にしたのだろうか。真理が怒ったような目で立っていた。
「子供に心配されるような状態じゃない」
「私は二十歳だ」
　強い口調を受けてジニーは真理の大きく迫り出した胸を見た。
「そのようだな」
　視線に気付いた真理が胸を隠した。両腕を交差させた状態で、じりじりと後退していく。
「あんた、誤解してないか？　俺は十三才以上の女は苦手なんだが」
「このロリコンが！」
　捨て台詞を吐いた真理は瞬く間に走り去った。
「今日は最悪だ」
　ふらふらとした足取りでジニーは通りに戻った。

　エノコロ岬の突端に立ち、ジニーは海風に吹かれた。
「ガキには妙な縁があるな」
　ジニーは瞼を閉じた。記憶の断片が蘇ってくる。
　仄明るい部屋に集められた子供達は一様に怯えた目をしていた。泣いている者は一人もいない。泣けば黙らせる為に暴力を振るわれる。
　部屋の壁はとても薄い。商品となった者の悲痛な声が頻繁に聞こえた。何人かの子供は両耳を掌で塞いだ。
　隅の事務机では組織の連中が嬉々とした顔で売り上げを数えている。
　組織の一員としてジニーも出入りをしていた。連中の目の届かないところで苦々しい表情を作り、何度も唾を吐いた。
　ジニーは瞼を開けた。
「サツに情報を流して、今では組織に追われる身だ」
　声に悲壮感は微塵もない。さっぱりとした表情で踵を返した。
「ついでだ。母さんの墓参りも済ませとくか」
　ジニーは顔を上げて来た道を戻っていった。

　新緑の桜を見ながらジニーは星ヶ丘教会に訪れた。
　場違いな柏手の音がした。真理が教会に一礼して、こちらに振り返った。
「また会ったな」
「……墓参りか」
　身構えた真理が言った。ジニーは肩に担いでいた花束を胸元に持ってきた。
「ここには母親の墓がある」
「見た目と違って感心だな」
「そうでもないさ。俺を女嫌いにさせた元凶。世界で一番、憎んでいる女の墓参りだ」
　花束を肩に乗せたジニーは平然と言ってのけた。
「そうは見えない」
「俺のことはいい。あんたは何をしてたんだ？」
「……寝子島を見て回っている」
　真理は目を合わせない。どことなく落ち着きを欠いた仕草に見えた。
「まさか、家出とかじゃねーだろうな」
「私は寝子島の島民だ」
「家はどこだ？」
　ジニーが顔を突き出して聞いた。山の方、と小さな声が返ってきた。
「山の方な。それでもいいが」
　ジニーは横を向いた。墓へと続く道に歩き出す。
「住むところに困ったなら、シーサイド九龍を訪ねてみな」
　歩みを止めず、振り返りもしない。持っていた花束を高々と掲げて見せた。

　母親の墓に花束を供えた。
「そうは見えない、か」
　ジニーは真理の言葉を口にした。目は墓を見つめている。
　いつもよりは長い時間の墓参りとなった。