Geheime Maske｜リアクション

Geheime Maske

　下らない遊びだと、一蹴する事は出来なかった。極彩色に覆われた下、写真と見紛うばかりに美しい絵を見た瞬間、弓弦原譲の心の中に何かが引っかかった。誰が描いたとも知れない絵だったが、深い共感の念が沸く。譲の中で抑圧されていた感情が、ゆっくりと頭をもたげる。鞄の中に入っていた、握りつぶされた手紙を取り出し、ハートのシールをわざと半分に千切ってから封を開ける。何時見ても変わらない妹の文字。何時だって文面は同じ。謝罪と、帰宅を望む言葉。
　チューブから絞り出した絵の具で、黒く塗りつぶしていく。妹の顔が脳裏に浮かび、その笑顔ですらもゆっくりと黒に染め上げていく。
　母親の死後引き取られた本家は、譲を歓迎する事はなかった。愛人の子供と疎んじられ、冷遇された日々の中で、異母妹だけが譲に懐いてくれた。誰もが冷たい視線を譲に浴びせる中で、無邪気な笑顔で慕ってくれる妹が可愛かった。
　妹は譲に懐き、だからこそ義母達の譲に対する仕打ちが我慢できなかったのだろう。いずれは、ああなる事は予想できていた。譲に入れ込んでいく妹、それを快く思わない人々、血を分け合ったはずの母娘は対立し、そしてある日、妹は譲を庇って母親を刺した。命に別状はなく、事故として揉み消されたが、あの日の光景は今も譲の記憶に縫い止められている。
　譲は本来、あの家にいてはいけない存在だ。幸せな家族の中に巣食う、愛人の子供と言う名の癌。じわりと周囲を取り込みながら、破滅へと向かって誘って行く。譲さえいなければ、全て上手く行く、今ならまだ間に合うはずだ。まだ誰も死んでいない今なら、まだ妹達は家族としてやり直せるはずだ。そう思ったからこそ、寝子島へ行く事を決意した。
　それなのに妹は、帰って来て欲しいと手紙を寄越す。何度破り捨てても、何度燃やしても、手紙は届き続ける。
　誰のためにあの家を離れ、一人この島に来たと思っているのか。妹がこれ以上何かしないためにも、あの家を崩壊させないためにも、譲はこうして一人で寝子島にやって来たというのに。誰のせいでこんなことに……。
　ドロリと、心の奥で何かが動き出す。そもそも、どうして妹は譲にこんなにも異様な執着を見せるのだろうか？　同情か？　愛人の子供で、母親に先立たれた不幸な異母兄を可哀想がりたいのか？　いい加減にしてくれ。お前に……両親の愛情を一身に受けて育ったお前なんかに、俺の何が分かるんだ。
　お前のせいで俺は家にいられなくなったんだ。お前があんな馬鹿なマネなんてするから！　お前さえいなければ、俺だって家族の一員になれたはずだ。……お前の同情なんて要らない。お前に同情される理由なんてない。お前が同情すればするほど、俺は惨めになる。……お前の存在こそが、俺を愛人の子として貶めているというのに。
　―― 全部全部、お前のせいだ。何もかも、お前の……ッ！！
　全てを漆黒に塗り終えた譲は、中指で眼鏡を押し上げると廊下に出た。先ほどよりも多くなった絵をボンヤリと見ていた時、キュっと上履きのゴムが擦れる音がして振り返った。普段とは違う、暗い表情をしていた若菜が顔を上げ、譲の手の中の手紙をチラリと見た後で小さく微笑む。
「一緒に行こうか」
　深い事は聞かずに、若菜はそう声をかけた。
　誰しも、人には見せたくない本音があり、何かしらの仮面を被っている。心の闇を抑圧し、醜い心を自分と言う名の役で覆い隠す。それは、悪い事ではない。でも時々、消化しきれずに行き場を失った感情が暴れだしそうになる。
「若菜せんぱ……」
　譲の言葉を制するように、若菜が寂しそうに微笑みながら人差し指を唇に当てた。いつも若菜が見せる元気な表情とは違う、少し大人びた先輩としての顔に、譲は戸惑いながらも足元に視線を落とした。