Geheime Maske｜リアクション

Geheime Maske

　焼けたサツマイモを幾つか持ち、修は優妃の元を訪ねた。窓の外を見ていた優妃が振り返り、淡い金色の髪が風に靡く。
「八神君も、来てたんだね。色んな人から、話は聞いたの」
「知らない人とも話せるようになったのか？」
「少しだけ。ここは私の家だし、お兄ちゃんもいるから」
　優妃の灰色の瞳が、修の持っているアルミホイルへと注がれる。修は小さく微笑むと、優妃の隣に立って一つを手渡した。
「熱いから、気をつけて」
「わぁ……これが素敵なプレゼント？」
　言っている意味が上手くつかめず、修は困惑気味に微笑んだ。優妃が焼き芋を半分に割り、口元に持っていく。直ぐに顔が綻び「美味しい」と、笑顔を見せる。
「御陵さんは、何をしていたんだ？」
「さっきまでは、ピアノを弾いてたの。でも、ちょっと疲れちゃったから、休憩してるの。八神君は、何か燃やしたの？」
「いや、俺は……」
　ドロリした、黒く虚ろな心の澱みが鎌首をもたげる。眼下では炎が燃えており、様々な想いが灰色の煙となって空に吸い込まれて行く。ああやって、外に出して燃やせる人々が羨ましい。修の秘密は、紙に書くなどできないもの。もしも露呈したら、人生も、医学への道も父親によって閉ざされてしまう。
　出生の秘密を知る深雪にすらも、言えていない事がある。思慮深く、頼れば適切な判断と救いの手を伸ばしてくれる、優等生。誰かが悩んでいれば一緒になって考え、誰かが悲しんでいればそっと涙を拭う。……でも、修の孤独も、苦しみも、癒してくれる人は誰もいない。
　書く事も、出す事も許されない諸々の秘密と、父親へのわだかまり。恨みと怨念が混じった、殺意にも似た激しい憎しみ。けれど、修が人生で目指す場所への最短の道もまた、父親だという皮肉。どんなに嫌っても、どんなに憎んでも、父親の手を借りなければ、夢へは辿り着かない。
　偽者の名前、やがみおさむを名乗り、存在する自分。虚構の存在に、確かなものは何もない。……やがみおさむなんて、どこにもいない。ここにいる八神修は、マガイモノにすぎない。
「……燃やしたい想いなんて、ないんだ」
「嘘」
　鋭い声に、修は隣を見た。優妃の灰色の瞳は非難の色を宿しており、見た事のない強い感情に驚く。
「前に、心を込めた演奏を聞かせてくれたよね？　私は、音で心を知るの。だから八神君と普通に話せる。怖い人じゃないって分かったから。……嘘をついたら、分かるのよ」
　何となく、そんな気はしていた。優妃には、修の声の音に潜む不協和音に気付かれてしまうかもしれないと思っていた。どんなに明るい声を出しても、優妃には真実の音が聞こえてしまうのだろう。
「燃やしたい想いは、燃やせない想いなんだよね？」
　優妃の灰色の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。無表情のまま流れ落ちる涙はどこか人形めいていて、修はハンカチを取り出すと優妃に差し出した。どうして急に泣き出したのか、何が悲しいのか分からずに困惑する。
「どうして泣いてるんだ？」
「分からないの。私が悲しいわけじゃないから。私が泣くべきじゃないの。でも、八神君は泣かないから……」
　複雑に絡まる心のわだかまりが、声を通して優妃に伝わってしまったのだろう。止め処なく流れ落ちる透明な涙に、修はそっと目を逸らした。泣いて解決する問題ではないと知っている。でも、心の底では、泣きたいと思っているのだろうか……？
「良ければ、何か弾いてくれないか？　君の曲が聞けたら、暫し忘れられると思うから……」
　優妃は何も言わずにピアノの前に座ると、涙を拭いてから弾き始めた。静かに流れるジムノペディは、泣きたくなるほど優しい音色をしていた。