ハレよ、風吹け　～ぼくらが幸せでありますように～｜リアクション

ハレよ、風吹け　～ぼくらが幸せでありますように～

　いつものあの場所で

　卒業パレードで蒔いた桜色の紙吹雪が、春風にのって寝子高のあちらこちらに流れてゆく。
　卒業式の後、御巫時子の足は自然と理科室へと向かっていた。
　理科室は時子にとって五十嵐尚輝先生と過ごせる特別な場所であり、幾度となく足を運んだ場所でもある。先生が実験をしている姿を眺めたり、理系人間御用達のビーカーコーヒーを頂いたり、無精な先生のために幾度もお弁当を届けたりもしたこの上なく思い出深い場所だ。何年、何十年と経っても、高校時代を思い出すときは、真っ先にこの理科室を思い浮かべるであろう。先生との時間は、時子にとってかけがえのない宝物であったから。
　そっとドアを開け、中に入る。
　しんとした室内。拭き浄められた実験台。すべての実験用具がきちんと棚の中に収まっている。
　換気のためか窓は開いていて、薄い色のカーテンがひらひらと動いている。
「……尚輝先生？」
　会いたい人は不在であった。
　時子は残念そうに溜息をついた。明日からはもうこの場所に来ることが出来ない。だから今日のうちに、少しでも先生との時間を増やしたかったのだが……。
「……卒業式のあとは流石にお忙しかったでしょうか……」
　呟きながら、実験台の縁を指でなぞったときだった。
「御巫さん？」
　はっとして振り向く。そこには驚いた顔の尚輝先生がいた。
　いつものように実験をされている姿を見たくて来てしまいました、と告げると、尚輝は頭を掻いた。
「そうでしたか。僕もいろんなことを思い出して、つい校内を見て回ってました」
　そうして最後にここに来たら、時子がいてびっくりした、と。
　時子は破顔した。
「お弁当を持ってきました。一緒に食べませんか？」
「卒業式なのに作ってきたんですか？」
「理科室で食べる最後のお弁当になると思いましたので」
「……そうですね。頂きましょうか」
　ふたりは幾度もそうしてきたように、時子が作ってきたお弁当を一緒に食べた。

「尚輝先生はこの３年間で何が一番印象深いですか？」

「ううん選び難いですが……時子さんがお弁当を持ってきてくれたときのことは覚えていますよ。生徒からお弁当を受け取っていいものかとも思いましたが、その後も僕の好みを聞いてくれたりして、変わった子がいるものだなあと」
「変わった子、ですか？」
　時子が咎めるような目をしたので、尚輝先生は取り繕うように言い添えた。
「美味しかったです」
「私は青い桜の謎を追った日のことです。初めて尚輝先生と沢山言葉を交わしたので……」
「御巫さんたちが一年生の時の遠足でしたね」
「先生に会えるのが嬉しいのは今も変わらないですね」
　そのとき、窓からの風が一枚の花びらを運んできた。風に乗って来たそれは、偶然時子の手に触れる。

　時子と尚輝先生が桜並木を一緒に歩いている。寄り添い、とても楽しそうで……。

　一瞬の光景があまりに眩しく、時子は目を細める。
　――これからの未来が幸せなものであるように、と心から願って。