さよならのむこうがわ～深淵特急『死兆星』の旅～｜リアクション

さよならのむこうがわ～深淵特急『死兆星』の旅～

　
　はっと我に返ると、教室はただならぬ騒然とした空気に包まれていた。ラッセルの目の前で繰り広げられているのはまさしく大乱戦である。
「やべえ、気絶してた！　あんの暴力ヤローめ……」
　憤るが、どうやら教室車両の支配者は仲間たちが追いつめているさなかであるようだ。であればあちらは任せるとして、ラッセルはあたりを素早く見回す。
「サニーはどこだ？　サニー！」
　乱闘のもたらす騒音にまぎれ、にゃあと遠く声が届く。
「あっちか！」
　カナリアへと姿を変えて飛び立つ。小さな黒猫はすぐにも見つかった。
「おらーっ、来るな来るな！　この猫はボクのだぞ！」
　嫌がる黒猫の首根っこを掴み、あたりの物を手当たり次第に投げつける陰湿生徒の目の前には、険しい顔をした綾花と珪が立ちはだかっている。
「あなたも本を粗末にするんですね……」
「ちょっと見過ごせないな」
「はい。あんな風に本を扱うなんて……本を大切にする珪さんは好きですよ」
「ははは。照れてしまうな」
「こっこの、しれっとイチャついてんじゃねー！」
　陰湿生徒のぶん投げる教科書には、暴力教師のような技はない。二人は大事にキャッチしたり机に並べていったりと意に介していないが、問題は敵の手にあるサニーだ。身じろぎし、二又尻尾を不機嫌そうにふりたくっている。すぐにも奪い返したいが、彼の身に危険が及ぶことは避けなければならない。
（ってことは、俺の出番だな！）
　小さなカナリアは急旋回、陰湿生徒の背後を取る。狙い定めると進化能力で大きなシロオオタカに変身し、敵の注意が綾花らへ向いた瞬間を見はからい突撃を敢行した。
（うおりゃーーー）
「うわっ、何だこの鳥！？」
　白い弾丸と化して飛翔したラッセルは、陰湿生徒の手から黒猫をかすめ取って見せた。
「っしゃあ、サニーゲット！」
「こ、このやろー！　返せ！」
　黒い本を振りかぶり、投擲しようとした生徒だったが。
「あ。その本、危ないですよ？」
　綾花が指差すと、ぴたりと動きを止めた。黒い本は教科書ではなく、文字がいっぱいに書き入れられた黒板を、綾花がろっこんで変化させたものだった。もちろん解除することもできる。
「おわあああ！！」
　巨大な黒板の下敷きとなり押し潰され、陰湿生徒は光となって消えた。

　サニーが安堵したように低く喉を鳴らしたのと、暴力教師が亜美佳の鉄拳をトドメに青く光に解け、宙に溶けていったのとは同時であった。
「ふい～っ、なんとかなったな」
　残る軽薄生徒は亜美佳に睨まれ軽薄さを引っ込めて背筋を正し、セクハラ教師陣は絵梨菜とヴィーゼが既にノックアウト済みだ。
「さて、サニー。お前は前に行かなきゃいけねぇ」
　ラッセルは黒猫のもとへ屈むと、首元へ括られた白いリボンへ金色の鍵を結び付けた。「キィ、任せたぞ」と祈りながら。
「怖いだろうが……俺たち皆が、お前の味方だ。向こうにだって俺たちの仲間がいるはずだ、安心して進めよ。そんで、黒白に会えよ！」
「黒白さんもきっと、あなたを待っているはずですよ」
　露草が微笑むと、サニーは一つ鳴き声を上げ、歩き始めた。教室車両の前方にあったはずの黒板は、綾花のろっこんによって取り除かれている。壁には一面どろでろろが蠢いているが、そこにぽっかりと猫が一匹くらいなら通り抜けられそうな穴が開いていた。
「気をつけてくださいね……？」
　心配そうな綾花の目にもう一度声を発してから、黒猫は穴の中へ身体をねじ込み、やがて揺れるお尻はすぽんと引っ込んだ。

　智瑜と義弘の安らかな寝顔が脅かされることは無かった。
「むにゃ……義弘さぁん」
「み、宮祀。そこはダメだ。そこはいかん……」
　智瑜は安寧に包まれすやすやと寝息を立て、義弘はそんな智瑜を抱きすくめたまま何かに抗うような寝言を口にしているが、どちらも概ね幸福そうである。
　教室車両の湿り気はいつのまにやら晴れ、日の光が差し込むうららかな午後のような穏やかな時は、がたごとと一定のリズムで刻む車輪の音に飾られながらしばしの間続いた。
　