ひねもすのたり、雲の切れ間に｜リアクション

ひねもすのたり、雲の切れ間に

～That's why I became the Angel～

「まったく、皆さん心が死んでいるにも程があるのですよ！」
　ある平日の朝、北玄は憤慨していた。
　勤めている会社に併設されているスポーツジムの更衣室である。彼は背中の中ほどまで届く黒髪のウィッグを外し、ロッカーへと放り投げた。
「僕のこの完璧な女装を見てもほぼ無反応でいられるだなんて、ちょっと人間として正常な心が欠けているとしか思えないですよ！　これなら競歩で通勤中に挨拶をしたら驚いて２度見したおばちゃんの方がよっぽど良い反応だったですよ……」
　そう愚痴る玄の着ている服は東京都内某所でよく見られるような、至る所にこれでもかとフリルとレースがあしらわれたエプロンドレスだった。その上白いタイツに、リボンが付いた赤いエナメルのストラップシューズを履いている。
　小柄な体格と健康的に締まった身体のおかげで、口さえ開かなければ玄はどう見ても可愛らしい少女のようにしか見えなかった。とは言え、とても一般サラリーマンが平日に着るような服ではない。
「メイクをする為に早起きまでしたというのに、もう少し反応が欲しかったですよ！」
　そんな格好で通勤して果たして問題は無いのだろうかと思う所だが、しかし問題は無い。
玄の勤め先は非常に自由な社風で、もはやそれは非常識の域にまで達している。勤務中の服装に関して規定は無く、スーツでなくても良いどころか玄のような女装や、果ては一糸まとわぬ全裸までなんでもアリだった。全裸の人間がどうやって通勤しているかは永遠の謎である。
勿論、そこまで吹っ切れてしまっている社員はそれほど多いわけではないが、玄の手の込んだ女装にも「またか」程度で終わるくらいには普遍的な光景なのだった。
玄は脱いだエプロンドレスを畳んでしまうと、フィットネスウェアに着替え、メイクを落としてからトレーニングルームへと向かった。