ひねもすのたり、雲の切れ間に｜リアクション

ひねもすのたり、雲の切れ間に

まず玄が向かったのはフリースペースだった。
平日の午前中ということもあってか、人は少ない。
玄はマットの上に腰を下ろしてストレッチを始めた。足首を回すところから始まり、ふくらはぎ、すね、膝、太股さらに上半身までまんべんなく、ひとつひとつの筋肉の調子を確かめるように丁寧に伸ばしてゆく。
ラジオ体操のような弾みをつけることは決してせず、緊張と弛緩に呼吸を合わせ、ゆっくりと動く。伸張反射を防ぎ、しっかりと筋肉を緩めるためのやり方である。
「ふいー。ストレッチングはこのくらいにして、次は初動負荷トレーニングでもするですよ！」
　玄はフリースペースから立ち上がると、様々な機材が所狭しと並べられているマシントレーニングスペースへ足を向けた。
　初動負荷トレーニングとはマシンを使って行われる、全身の筋肉と関節の活動を活発化するためのトレーニングである。基本的にはディップス、チェストスプレッド、ハイプーリー、アウター、レッグプレス、インナーサイの６種目からなり、それぞれ動かす筋肉が異なる。また、単純な筋力トレーニングとは趣を異とし、しなやかで運動性の高い筋肉を作ることができるとされている。
　玄はそれぞれ規定の回数で一周するのをワンセットとし、ワンセットこなす度に休憩を挟んで全部で５セット繰り返した。
　終わる頃には全身汗だくだ。
　元々グレーだったトレーニングウェアも、まるで初めからそうだったかのように全体に汗が染みて黒く見えている。玄はタオルで額を拭いながら、用意しておいたスポーツドリンクに口をつけた。
「水分補給は大切なのですよ！　これから暑くなってくる季節ですし、熱中症には気を付けるですよ！　自覚症状があまり出ないから予防が肝心なのですよ！」
　ベンチに腰かけていた玄は、汗がひいたところで更衣室へと戻った。これで終わりかと思いきや、ウェアを脱いで全身を拭った玄は鞄から水着を取り出して身に着け始めた。
「さて、次は水中ウォーキングですよ！」
　このジムは屋内プールも完備されているのだった。２５メートルのコースが５レーンあり、そのうちの２レーンに飛び込み台が設置されている。台が設置されていないコースの一番端は他よりも一段浅くなっており、ウォーキング用に開放されていた。
　玄は軽く体操をした後、両手足にプラスチック製の箱のようなものを付けた。
「これで効率よく筋肉を鍛えるですよ！」
　それはハイドロギアなどと呼ばれる、水の抵抗を強めて身体への負荷を高めるための器具である。それを付けたまま、玄は普通の歩き方に加えて横歩き、後ろ歩きなどでプールを何度も往復する。
　やがて５００メートルほど歩いたところで、玄はプールサイドへと上がった。
「この前宿泊ドックへ行ったらオーバーワークのせいで血中クレアチニンが多いと言われたことですし、今日はこの辺で止めとくですよ！」
　壁の時計を見やれば時刻は既に正午を回っていた。今日は午後から出勤する玄も、さすがにそろそろ行かなければ遅刻してしまいそうだった。
「今から会社に戻れば丁度昼休みで混み合う前に社員食堂を利用できるですよ！　激安のサラダバーと親の手作り弁当をいただくですよ！」
　更衣室でエプロンドレスに着替え、気合の入ったメイクをし終えた玄は、仕事場へと駆け出した。同じ更衣室を利用していた人々の多くはそれを好奇心や驚きの、それとわずかに混じった熱い視線を投げかけて見送ったのだった。