こんにちは、不通の日｜リアクション

こんにちは、不通の日

　無人のホームセンターへ駆け込んだ恵御納夏朝は、
（ちょっと罪悪感があるな……）
　と、自分の立てた計画に少々後ろ向きだった。

　テオから今回の事態を聞かされたのは、今から１５分ほど前のこと。指令は、テオの作り出した世界に送り込まれた猫たちに「こんにちは」と挨拶して、仕込まれた電波妨害を解除してあげること。さらりと言ってテオは去っていったが、一体何人の仲間がいてどれだけの不通猫がいるのか、までは知らされていない。おまけに電波が妨害されているのだから、連絡を取る術もない。不安な気持ちのまま、静かなホームセンターを物色する。

「不通の猫さん……フツウの猫さんに戻さないと……」
　夏朝の決意が広い店内に小さくこだまする。
　ペット用品コーナー。カリカリ、マタタビを調達。レジャーコーナーから大きめのリュックサックも拝借する。
「あとは地図もあるといいかな」
　寝子島専用マップは観光用の無料配布なので、罪悪感は少なくて済んだ。

　ホームセンターを出ると、初夏の爽やかな陽気が待っていた。近づく夏の胸騒ぎに反して、シーサイドタウンは静かだ。今ここにはほとんど猫しかいない。電波を妨害する、フツウではない不通猫。夏朝は複雑な気持ちになる。
「これもあるといいな」
　チリリン。ホームセンター前に停まっていた自転車のベルを鳴らしてみる。店の物だけでなく、人の物も盗ることに気が引けるわけだが、背に腹はかえられぬ。
「少しだけ借りるね」
　自転車にまたがり、駆けようとすると
「あら？」
　一匹の猫が横切った。
「ニャ〜」
「あ、猫さん、こんにちは！」
　いきなりの対面に声が素っ頓狂になる。きちんと相手の目を見て言えたのは確かだ。
「ニャ〜」
「で、できたのかな……」
　手応えはないが、これで間違いはないだろう。
「じゃあね」
　キョトン顔の猫に手を振り、自転車を漕ぎ出す夏朝だった。

「ニャ〜（あいさつされたから鳴いて返したけど、僕に何か用だったのかな？）」
　小首をかしげ、異世界でようやく出会えた人間が、自転車で去っていくのを見送る猫。正体は響タルト。学校でうっかり水をかぶってしまい、ろっこん「チェシャ猫」が発動。仕方なく日向ぼっこでウトウトしているときに、誰かに写真を撮られたような気もするが、記憶は定かでない。気がついたら周囲に人気がなくなったので、ブラッと街へ繰り出していたところだった。その身動きの軽さのせいか、テオには会えていなかった。
（この状況は、きっとナニカが起きたってことだ。面白そう♪）
　揃えていた前の両足で地面を蹴りくるり翻ると、とりあえず西のほうを目指した。

　その西の方角、星ヶ丘地区の星ヶ丘寮では、メイド姿の妖艶な美女が動き始めていた。
　スタッフ専用の通路。ここ星ヶ丘寮では、スタッフだけが通る場所でさえ、豪奢な造りを成している。定期的に配される値打ちものの絵画や花瓶に目を向けず、檜扇唱華は食料庫を目指した。
（こちらから追いかけるには分が悪いですし……餌で釣るのが最良でしょう）
　大掛かりな冷蔵庫から、刺身用のマグロを引き出す。人間でさえなかなかお目にかかれないような、上等に脂がのった部位だ。
「星ヶ丘はグルメ猫の放し飼いが多いこと」
　そうつぶやきつつ、キッチンワゴンに食材を載せると、今度は調理場へ。
　隅々まで掃除が行き届いた、まばゆいほどに輝く調理場に、唱華、一人。いつもは誰かしらがせっせと働いているはずのこの場所に、若干の違和感を抱きながらも、まな板へマグロ一切れを載せる。手早く包丁でミンチに。
（栄養面も考慮しなくては）
　さすが超一流のスタッフが集うと言われる高級寮のメイド。外飼いの猫たちといえど、サーブするものへの手は抜けない。大葉や小松菜をみじん切りにして、ミンチマグロと和える。これをご飯へのせて
「ネギトロ丼です」
　小分けにし、手際よくタッパーへ詰め、クーラーボックスへ。ここまでの所業に無駄は何一つない。
（魚がダメな子のために、これも持っていっておきましょう）
　肉系の缶詰も仕入れると、準備は万端だ。
　スタッフ専用通用口から颯爽と駆け出す唱華に迷いはなかった。

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